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首里城2022年秋②

2019年10月31日に火災にあってしまった首里城。現在の首里城を取材してきたのでご報告しています。

前回を読みたい方はこちらからどうぞ。

首里城2022年秋①

首里杜館(すいむいかん)をあとにして、目に入ってきたのは城内に植えられた様々な植物たち……。

はっ……!

これは……

シマグワ
シマグワ

シマグワではないですか……。

桑の木といえば、『球妖外伝キジムナ物語』で燃えてしまった桑の大木を思い出しました。
こちらの回で登場します。興味を持った方は読んでみてくださいね。

首里城公園案内図の看板を確認しました。
うん、広いね……

首里城公園案内図
首里城公園案内図

さてどこから向かいましょうか……

おや?

史跡 首里城跡

史跡首里城跡と書いています。
となりにあるものは……

説明文でしょうか?
読めない……

隣にはこんなものもありました。

琉球大学跡

琉球大学跡の石碑です。

沖縄戦のあと1950年に、ここには琉球大学が建てられました。アメリカ合衆国統治下の時代です。城跡に大学を建てるなんて、なぜそんなことをしたのでしょうか?

沖縄戦当時ここには第32軍司令部壕があり、首里城は激戦地となりました。戦後、人々はどういった思いでここに大学を建てたのでしょうか?当時のことをもっと知りたくなりました。

琉球大学は1972年に沖縄が本土へ復帰したあと国立大学になり、1977年から80年代にかけて現在の西原町へ移転しました。それにともない1980年代後半に首里城の復元が本格的に開始されたそうです。

さて。
首里城といえば、城内にあるたくさんの門。門を探しに行きます。

おや……?

この後ろ姿はもしや……
表にまわってみましょう。

守礼門

じゃーん!
守礼門(しゅれいもん)です!

二千円札にも描かれている有名な門です。

守礼門は1958年に再建されたそうです。琉球大学があるときに作られたのですね。

ぽつんと建てられた守礼門。周りには何もなくて見に来た人にがっかりされたそうです。当時の人々はどんな思いで建てたのでしょうか……

守礼門をくぐると、左手にはこんなものが。

世界遺産 琉球王国のグスク及び関連遺産群 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)と書かれていました。

2000年12月2日、園比屋武御嶽石門は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして、ユネスコの世界遺産条約に基づく世界遺産リストに登録されました。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

石碑に説明が描かれていたので、一部ご紹介します。

石門とその奥の森を園比屋武御嶽といい王府の祈願所であった。石門は神社でいう拝殿にあたるが本殿に相当する建物はなく石門の後ろに広がる森がそれにあたるという。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

園比屋武御嶽石門の中には王府が祈願した森があったそうです。聖域だったのですね。

先へ進みます。
また門が見えてきました。

これは……

歓会門(かんかいもん)

逆光だ……

こちらは歓会門(かんかいもん)です。

歓会門(かんかいもん)の案内文を記載します。

首里城の城郭内に入る第一の正門です。中国皇帝の使者「冊封使」などを歓迎するという意味でこの名がつけられました。「あまへ御門」ともいいます。「あまへ」は沖縄の古い言葉で「歓んで迎える」を意味しており「歓会」はその漢訳です。
門の両側の一対の獅子像「シーサー」は魔除けの意味をもっています。
1500年前後創建。沖縄戦(1945年)で焼失し、1974年(昭和49年)に復元されました。
歓会門(かんかいもん)

守礼門(しゅれいもん)と比べると、少々地味な気もしますが……。なにか理由があるのでしょうか?

門の前の左側にある獅子です。
お口が開いていますね。

右側の獅子も見てみましょう。

あれ……?

こちら側も口が開いている……?
阿吽(あうん)じゃないの?

なんか牙が生えている……?
そして舌を出しているけど……
これはまさか「あっかんべー」!?

……首里城には謎がいっぱいあるなと思いました😅。

今日はここまで。

まだまだ続きます。

首里城2022年秋③

ららみぃたんさんたちの企画した「noteで文化祭」へ参加させていただいています。

#noteで文化祭展示コーナー
#秋だからやってみた

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水蝸牛
人と人との温かい交流を信じて、世界が平和になるように活動を続けていきたいと思います。