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一線を引くか引くべきではないか?

マネジメントと現場のスタッフは、親しくなりすぎてはいけないのか?


未だ自分の中でもこの答えは出ていない。約20年前、FOUR SEASONS HOTEL丸の内でゲストリレーションズマネージャーとして働いている時、ある上司から言われたことが1つある。それは、

マネジメントは常に現場のスタッフとはある一定の距離感を保ち業務に取る組むべき。

と言う話だった。どんなタイミングで言われたかは正直忘れたが、彼が言いたかったのは、マネジメントは時にスタッフに注意や指導をし、警告(warning)を出したり、最悪の場合は解雇通知を出さなければいけない時もある(クビにするという事)。そんな仕事だから、個人的感情が入ってしまうと、その場面に出くわしたときに正しい判断ができないというのが、彼が言いたかったことであろう。マネジメントとは時に愛おしい部下にそんな事をしなくてはいけない酷な仕事なのである。特にその方は、アメリカのFOUR SEASONSでキャリアを積み、日本人にしてかなり早い段階で上に上がってきた方。アメリカは移民の国なので、いろいろな文化や人、言語や宗教などが入り乱れた社会である。だからこそ法律というのが非常に重要で、何か問題があるとすぐに法廷論争となる。そんな社会で仕事をしていれば、訴える訴えないと言うような話になるのは当然だ。だからこそ、いざと言うときには正しい判断をしなければならないので、スタッフとは距離をおく。それが彼の考えだったのだろう。


それはそれで考え方としては間違ってはいない。実際に自分のキャリアの中でも、自分が望んでいなくても、結果そのスタッフを辞めさせてしまったこともある。直接的な解雇と言うのは、自分個人の判断だけでは起きない。総支配人や、人事部長、また解雇するとなると企業的にも考えなければならないことが多くある。なのでそのスタッフが、法律に反したり、誰かに危害を加えたり、盗みをする(横領)など、よっぽどな正当な理由がない限りは「解雇」などはできない。従業員は雇い主である企業よりも弱い立場なので、法律でも守られている事が多い。不当解雇などとなったら企業イメージも悪くなるし行政からの指導や勧告の対象のなる事もあるだろう。自分の責任の範疇で行うべきは、段階的懲戒システム(gradual disciplinary system)による指導と注意。その結果、降格をさせざるを得ない場合もある。いきなり降格させるという事はなく、段階的懲戒システムに則ると、まずは口頭での指導(とは言え書面化する)。俗に言うverbal warning。次の書面での警告(written warning)。そして最終警告(final warning)。この様に同じ事項に対して一定の期間でパフォーマンスの改善が見られない時には、これらを発動する。間違って欲しくないのは、ワインの説明ができないとか、笑顔がないとか、そういった類の初級編の指導ではなく、例えば労務時間を改ざんしているのが見つかったり、お客様に危険及ぶ可能性のある業務(アレルギー対応など)の決められた手順を疎かにしたり、どうしても改善が必要とする仕事に対してのみ起きる可能性がある。
昔は、怒鳴られて「馬鹿野郎、お前なんか辞めちまえ!」で済んだ話だが、上司が今これをすると一発退場となる世の中。(昔は力でどうにかしてた野蛮な世の中でした…) とは言え、スタッフにもやるべき仕事はやれる様になる努力をして頂かないと、ビジネスとして成り立たない。そこでこの段階的懲戒システムがある。割と外資系のホテルの人事では標準的な考え方である。

昔話はさておき話を戻そう。
今はと言うと、何せ学生時代に先生から、そして家庭でも親からぶん殴られた(怒られた)事のない若者たちはストレス耐性がそんなに強くは無い(一般的には…むしろ凄まじく強い子もいる)。それに、今や力や暴力で捩じ伏せようとする上司は、職場から総スカンを喰らう。若者もどんどん他のチャンスを求めて外へ行ってしまう。なので手法を考えなければならない。
一線を引くか引かないかの話で言うと、今は逆の傾向にある。スタッフとは有意義な雑談を通じて結びつきを強く持ち、より密なコミュニケーションを取れるようにより密な関係になるべし、と。これはある本に書いてあった事だが、アメリカのコーチングで有名な方がその手法だそうだ。なん百億円も売り上げのある大企業の社長やCEOなどをコーチングする方がいて、彼は先ず仕事を終えてから、パブに行って飲みながらアメフトの話をする。そしてお互いの家族の話をして、そこから仕事の悩みを聞く。心理的安全性は生産性の高いチームには必要不可欠な要素。それが正しくこのアプローチである。仕事だけでなく、プライベートの事や趣味など知るということは、相手の事を知ると言う事。自分の事も知ってもらえると、心理的安全性が担保される。だからなんでも話してくれる様になるそうだ。よく聞く「open door policy」も似た様な意味合いだ。別の話でも日本人の仕事の考え方に似た様なのがある。

プライベートと仕事は別。

おっしゃる通りなんだが、実はこれもちょっとオールドファッションである。高度成長期の日本はとにかく働かされた。その風潮は勤勉な日本人には受け入れられたが、どこかで限度を超えた。過重労働で人が死ぬ様になった。そこでストップがかかったのではないか、と推測する。今はどちらかと言うと、職業選択の自由がある世界。辞めたきゃ辞めれる時代。じゃあ今働いている人は好きで働いているんじゃないのか?働かされているにではなく、望んで働いている(もしくは自分で選択している)。だったら、とことん楽しめば良い。仕事の成功は自己実現なのである。だから変に「仕事だから…」とクールに割切る(もしくは割り切り過ぎる)のは、特に上司がそう言っちゃうとそもそもパワーバランス的に部下はアプローチなんかしてくれない。自分を曝け出して、自分を知ってもらい、そして相手を知る。そうするとチームメイトの一人一人と関係性が構築される。イコール、チームワークが良くなり生産性が向上する。指導や叱咤激励も関係性があればし易くなる。そして、お互い努力に努力を重ねた結果、段階的懲戒になるとお互いの受け入れられる場合が多い。

結論として:

大きチームを纏める事を考えると、現代的手法が有効的。でも現実的には上司は上司としての役割がある。それを忘れない様に。

良い塩梅は皆さんの経験から導き出して下さい。
一概にココ!とは引けるものではありません。何故ならマネジメントとは「人」を介する仕事なので答えが無いのです。そこがマネジメントのダイナミクス(醍醐味)でもあります。

Ace Hotel Downtown LA. 

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