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今は無き米軍由来の名称となったバス停(2)
沖縄県に存在した「米軍由来の名称となったバス停」を紹介する第二弾である。
1972年の本土復帰前までの米軍基地は、規模の大きい就業先の1つであり、その関係からか米軍基地の近くには「部隊前」と命名されたバス停が設置されていた。「○○部隊前」や「部隊入口」を含めると、1977年時点$${^1}$$で9ヶ所確認できたが、1978年3月頃$${^2}$$にその多くが改称されて、2025年2月現在は北谷町に1ヶ所残るのみである。
"730"に向けて前照灯取り替え、道路工事など急ピッチで進められているが、先月からバス停の名称もあちこちで新しい名称に変えられている。
これは「部隊前」や「E・Q前」「商店前」など従来の名称が米軍基地や個人商店名が多く、施設、商店そのものがなくなったりして現状にそぐわなかったため、利用者から苦情が出されて変更に踏み切ったものだが、利用者の中には「バークレイ前や部隊前、ペリーなど"戦後の沖縄"が消えるようだ。変更はやむをえないとはいえ、いくつかはそのまま残してもいいのでは」と、旧名称をなつかしがる声もある。
浦添市の部隊前バス停
浦添市内には、キャンプキンザー(牧港補給地区)という米軍基地が国道58号の西側に立地している。このキャンプキンザーの第1ゲートの前に、1977年当時$${^1}$$、部隊前バス停が設置されていた。2025年2月現在、第一仲西バス停となっている。
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(国土地理院の空中写真【MOK701-C9-14】を筆者が加工)
キャンプキンザーは南北に延びる縦長の敷地であることから、同じく南北に延びる国道58号沿いには3つのゲートがある。一番南にある第1ゲート前のバス停名は「部隊前バス停」であったが、そこから北に進んだ所にある第2ゲート前は「屋富祖バス停」、さらに北にある第3ゲート前は「城間バス停」と地名に由来するバス停名となっている。路線バスを利用する日本人の従業員は、第1ゲートからしか入退出できなかったのかもしれない。
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(国土地理院の空中写真【COK771-C55-5】を筆者が加工)
浦添市の部隊前バス停は、1980年時点の路線図$${^3}$$では、第一仲西と改称されていることから、1978年3月頃に改称されたのだと思われる。
うるま市の部隊前バス停
うるま市は、具志川市、石川市、与那城町、勝連町の2市2町が合併して誕生した市であり、米軍基地はこのすべての市町に存在するが、部隊前というバス停名が存在するのは旧・具志川市のみであった。
旧・具志川市川崎にあるキャンプ・マクトリアスの第1ゲート前に、1977年当時$${^1}$$、部隊前バス停が設置されていた。2025年2月現在、川崎小学校前バス停となっている。
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(国土地理院の空中写真【COK771-C44-15】を筆者が加工)
うるま市の部隊前バス停は、1980年時点の路線図$${^3}$$では、川崎小学校前と改称されていることから、1978年3月頃に改称されたのだと思われる。
金武町の部隊前バス停
2025年2月現在、金武町には「キャンプ・ハンセン」「金武ブルー・ビーチ訓練場」「金武レッド・ビーチ訓練場」の3つの米軍基地が存在する。
このうち、最も規模が大きく、金武町の約6割を占有するキャンプ・ハンセンの第1ゲート(2023年3月に第2ゲートに改称$${^4}$$)の目の前に、1977年当時$${^1}$$、部隊前バス停が設置されていた。2025年2月現在、金武入口バス停となっている。
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(国土地理院の空中写真【COK771-C37-15】を筆者が加工)
部隊前バス停が存在した当時は、那覇側から浜田→部隊前→金武入口→金武農協前という順番でバス停が設置されていた。このうち、部隊前と金武入口の間は約200mという短距離だったためか、2つのバス停を統合する形で、金武入口を廃止し、部隊前を金武入口に改称したようだ。
2つのバス停を統合する際に、単純に金武入口を廃止するのではなかったことから、部隊前というバス停名を無くしたかったのであろう。1980年時点の路線図では、部隊前が存在しないことから、1978年3月頃に改称されたのだと思われる。
なお、2025年2月現在は、金武入口と金武農協前の間に、金武バス停が設置されているため、那覇側から浜田→金武入口(旧・部隊前)→金武(旧・金武入口)→金武農協前となり、名称は変わったものの、バス停配置は1977年当時とほぼ同じ状態に戻った。
沖縄市の部隊前バス停
沖縄市には、嘉手納飛行場、嘉手納弾薬庫地区、キャンプ・シールズなど、市域を広大に占有する米軍基地が複数あるが、部隊前バス停はこれらのいずれの基地の前ではなく、沖縄市の最南端に位置する与儀地区に立地していた。2025年2月現在、第一与儀バス停となっている。
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(国土地理院の空中写真【MOK701-C4-6】を筆者が加工)
ただ、部隊前というバス停名であった1977年当時の航空写真を見ても、他の部隊前とは異なり、目の前にはゲートはおろか、米軍基地自体が存在しない。部隊前バス停に一番近い米軍基地は、少し北に立地していた泡瀬通信補助施設基地(旧・泡瀬飛行場)であり、基地の入口としては比屋根バス停が近く、なぜ基地から少し離れたバス停に部隊前と名付けられたかは不明である。
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(国土地理院の空中写真【COK771-C49-10】を筆者が加工)
基地が目の前に無い沖縄市の部隊前バス停は、1980年時点の路線図$${^3}$$では、第一与儀と改称されていることから、1978年3月頃に改称されたのだと思われる。
那覇市の部隊前バス停
那覇市は、小禄地区と那覇新都心地区に広大な米軍基地が存在したが、いずれも1980年代までに全面返還されており、市内に唯一残るのが、那覇空港からも近い那覇港湾施設(旧・那覇軍港)である。
2025年2月現在でも、軍桟橋前バス停として、米軍基地の存在を示すバス停が実在するが、1977年当時は、軍桟橋前とフリーゾーン前の間に、部隊前バス停が設置されていた。なお、2025年2月現在は、存在しない。
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(国土地理院の空中写真【COK771-C58-4】を筆者が加工)
那覇市の部隊前バス停は、那覇空港発着のバス路線しか停車せず、利用者も限られたため、敢えて改称・廃止する必要がないという判断があったのか、1980年時点の路線図でも、部隊前バス停として存続していることが確認できる。ただ、那覇港湾施設は、1970年代から遊休化が指摘されており、そもそも基地自体の運用実態はかなり低かったようである$${^5}$$。
バス停の目の前には那覇港湾施設しかないことから、利用者はほぼいなかったと推察されるが、少なくとも1993年時点$${^6}$$のバス路線図には記載が確認できない。なお、部隊前バス停そのものが廃止された事例は、那覇市の部隊前が唯一である。
沖縄市の登川部隊前バス停
ここまでは単なる部隊前バス停であったが、地名が頭についた部隊前バス停も存在した。沖縄市に存在した登川部隊前が該当する。
登川部隊前は、キャンプヘーグ(旧・キャンプ登川)のメインゲート前に設置されていたバス停である。キャンプヘーグは、1977年5月14日に全面返還されており、2025年2月現在は、基地の跡地に建設された施設に由来する、沖縄市農民研修センター前となっている。
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(国土地理院の空中写真【MOK701X-C19-6】を筆者が加工)
登川部隊前バス停は、1977年には返還されていたにもかかわらず、1978年頃の一斉改称時にも名称が変更されなかったバス停であった。
詳細な改称時期は不明であるが、1993年時点$${^6}$$では第一登川となっており、その後、現在の名称である沖縄市農民研修センター前に改称されている。
宜野湾市の家族部隊前バス停
宜野湾市の部隊前バス停は、家族部隊前バス停という名称であった。「家族部隊」とは、従軍者の家族が住む住宅の通称であり、キャンプ瑞慶覧の敷地内に存在した普天間家族住宅のゲート前に、家族部隊前バス停が存在した。2025年2月現在、普天間入口バス停となっている。
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(国土地理院の空中写真【COK771-C51-4】を筆者が加工)
家族住宅は、前述のキャンプ・キンザー(浦添市)やキャンプ・マクトリアス(うるま市)にも存在するが、なぜか「家族部隊前」と命名されたのは宜野湾市の部隊前バス停のみである。
家族部隊前バス停は、1980年時点の路線図$${^3}$$では、普天間入口と改称されていることから、1978年3月頃に改称されたのだと思われる。
北中城村の部隊入口バス停
北中城村には、部隊前バス停ではなく、部隊入口バス停が存在した。2025年2月現在、第一安谷屋バス停となっている。
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(国土地理院の空中写真【COK771-C51-6】を筆者が加工)
部隊入口バス停の近くには、キャンプ・瑞慶覧が存在するが、第1Bゲートから少し離れており、これが部隊前ではなく部隊入口となった要因であろう。ただこの理論で行けば、沖縄市与儀の部隊前バス停も部隊入口バス停が適切な気もするが。
部隊入口バス停は、1980年時点の路線図$${^3}$$では、第一安谷屋と改称されていることから、1978年3月頃に改称されたのだと思われる。
北谷町の部隊前バス停(おまけ)
「今は無き」という記事であるが、現存する部隊前バス停も紹介する。
北谷町にある部隊前バス停は、2025年2月現在、沖縄本島で唯一現存する部隊前バス停である。
キャンプ・桑江の目の前に立地しており、現在は閉鎖されているが、バス停近くにはゲートも存在するため、かつては部隊前バス停を利用して、キャンプ・桑江へ就業する従業員もいたのであろう。
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(国土地理院の空中写真【COK771-C49-3】を筆者が加工)
繰り返しになるが、この部隊前は2025年2月現在でも名称の変更もなく存続している。バス停の目の前にあるゲートは閉鎖されているものの、米軍基地は現存しており、名称に誤りがあるわけではないため、敢えて変更する必要は無いという判断であろうか。
ちなみに、1977年当時のバス路線図$${^1}$$では、部隊前バス停からコザ方面へ約500mほど進んだ所に裏ゲートというバス停名が確認できる。当時の航空写真を見ても、ゲートがあるようには見えないが、かつてはここにもゲートがあったのであろうか。米軍基地には関係ない可能性もあるが。
なお裏ゲートは、1980年時点の路線図$${^3}$$では確認できないことから、1977年~1980年の間に廃止されたようだ。
まとめ
かつて存在した合計9ヶ所の部隊前バス停(部隊入口バス停などを含む)を紹介したが、1978年に改称されたのは6ヶ所、1993年までに改称されたのは1ヶ所、廃止されたのは1ヶ所、2025年2月現在も現存するのは1ヶ所である。
まとめると下記の通りである。
浦添市:部隊前→第一仲西
うるま市:部隊前→川崎小学校前
金武町:部隊前→金武入口
沖縄市:部隊前→第一与儀
那覇市:部隊前→廃止
沖縄市:登川部隊前→第一登川→沖縄市農民研修センター前
宜野湾市:家族部隊前→普天間入口
北中城村:部隊入口→第一安谷屋
北谷町:部隊前→現存
ちなみに1978年当時の新聞記事では、7ヶ所の部隊前が改称されるとあり、上記とカウントとは一致しない。可能性があるとすれば、登川部隊前は1978年3月に改称される予定だったのかもしれない。
名称がすでに変更されたか、これから変更される停留場を見ると、いちばん多いのが「部隊前」(従来)これは米軍基地の入り口で、部隊入口、家族部隊前なども含めると全部で7ヵ所もある。
脚注
運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)
バス停あちこちで改名/現状にそぐわず/利用者から苦情出る/旧名なつかしがる声も(1978年3月6日 琉球新報)
バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)
運賃及び粁程表 平成5年11月1日改定(1993年11月 沖縄県バス協会発行)