かつて名護市に存在した久志バスターミナル
2024年1月現在の沖縄県名護市内にあるバスターミナルは、名護市宮里にある名護バスターミナル1箇所のみであるが、かつては名護市辺野古にもバスターミナルが設置されていた。
久志村辺野古に設置された久志バスターミナル
名護市辺野古に設置されていたのは「久志バスターミナル」である。住所としては「名護市辺野古913-5$${^1}$$」であり、地図で示すと以下である。2024年1月現在は、辺野古公民館が立地している。
バスターミナルの住所は「名護市久志」ではなく「名護市辺野古」であり、「辺野古バスターミナル」の方が適切のようにも思えるが、由来はかつて存在した「久志村」である。「久志村」は、1970年8月1日に、名護町、屋部村、羽地村、屋我地村と合併して、現在は名護市の一部となっているが、かつては独立した自治体であり、この久志村にあったバスターミナルなので「久志バスターミナル」であった。
ただし知名度的には、今も昔も「辺野古」の方が高かったようで、方向幕での行き先は「辺野古」となっていた。
なお、「バスターミナル」とは名がついているが、沖縄バス1社のみの乗り入れであり、他のバスターミナルのような乗降ホームも設置されていなかったためか、自動車ターミナル法に基づくバスターミナルには含まれていなかったようである$${^2}$$。
1959年に久志バスターミナルが開設
旧・久志村にバス営業所が設置されたのは、1957年(昭和32年)7月13日のことである。沖縄バスにより、久志出張所が設置された。
ただし、この初代久志出張所は、久志バスターミナルとは違う位置にあったようだ。初代久志出張所の開所から、約2年後の1959年(昭和34年)12月12日には移転しており、この移転先に久志バスターミナルが設置されたようである。
久志バスターミナルが現役だった1977年12月当時の航空写真を以下に示す。
1950年代後半は、県内各地にバスターミナルが設置された時期であり、久志バスターミナルもその1つであった。ただ、この時に設置されたバスターミナルのほとんどは、1970年代以降に、より広い敷地をもとめて相次いで移転しているのに対し、久志バスターミナルは、1959年の開設から1995年の廃止まで移転することは無く、かつ敷地が拡大されることもなかった。
廃止直前の1993年6月当時の航空写真を以下に示す。前述の1977年当時と比較して、敷地面積は全く変わっていないことが確認できる。
久志バスターミナルを起終点としたのは5路線
久志バスターミナル開設から約5年後の1964年12月末当時$${^3}$$での発着路線は、下記の通りである(系統番号は1975年3月末当時$${^4}$$の番号である)。
那覇方面(現在の国道329号南方面)
・22番・久志線(那覇~コザ~石川~久志)1日54本
名護方面(現在の国道329号北方面)
・77番・辺野古~名護線(久志~名護)1日14本
東村方面(現在の国道331号北方面)
・78番・辺野古~平良線(久志~嘉陽~有銘~平良)1日3本
・79番・天仁屋線(久志~嘉陽~天仁屋)1日2本
・80番・嘉陽線(久志~嘉陽)1日5本
那覇方面への22番・久志線は、1時間に4~5本と高頻度運行であったが、名護方面への77番・辺野古~名護線は、1~2時間に1本程度とこの当時から少なかった。
また東村方面へは、途中の嘉陽集落(嘉陽バス停)までは3路線合わせて1日10本が運行されていたが、その先は2路線合わせて1日3本のみの運行であった。
なおこの当時のバス路線網は、旧・久志村内での移動に主眼を置いた路線網となっており、久志村役所があった村の中心部である瀬嵩から、同じ村内の辺野古(久志バスターミナル)へは乗り換えなしで行けたが、隣接する名護町へは二見入口での乗り換えが必須であった。
加えて、久志バスターミナルを跨いだ路線は存在せず、同じ村内でも、久志バスターミナル以南である久志や豊原から、バスターミナル以北にある瀬嵩などへは、必ず乗り換えが必要であった。久志バスターミナル以北の運行本数はスムーズに乗り換えが出来るほど充実していないことから、久志バスターミナルを跨いだ需要はほぼ無かったのかもしれない。
久志バスターミナルを起終点とする路線は徐々に減少
久志バスターミナルを起終点とする5路線は、1970年代以降、徐々に減少していく。
77番・辺野古~名護線 ⇒ 77番・名護東線
まず、名護方面を結んでいた77番・辺野古~名護線が、那覇方面まで延長され、久志バスターミナルは経由地となった。現在も運行されている77番・名護東線の誕生である。
変更されたのは、1977年(昭和52年)頃のようである。
77番・辺野古~名護線だった1975年3月末時点$${^4}$$で1日14本運行されていたものが、77番・名護東線となった後の1979年7月1日時点$${^5}$$で1日13本と減便はされたが、路線延長がかなり伸びた割には微減でとどまった。ただし、77番・名護東線と完全に重複することとなった22番・久志線は、1日54本(1975年3月末時点$${^4}$$)から1日42本(1979年7月1日時点$${^5}$$)に減便となっている。
なお、那覇と名護を結ぶ名護東線の系統番号が、北部支線に充てられている70番台となっているのは、かつて名護と久志を結ぶ北部支線だった時の77番という番号が、那覇まで延長されても継続して使用された名残である。
78番・辺野古~平良線 ⇒ 78番・名護東部線
次に、東村方面を結んでいた78番・辺野古~平良線が、久志バスターミナル起点から名護バスターミナル起点へと変更され、78番・名護東部線となった。
変更されたのは、1991年4月のことである。
久志村が名護市として編入されて、約20年が経過しており、旧・久志村中心部(瀬嵩)からの需要は、辺野古では無く名護市へ変わっていたのかもしれない。
久志バスターミナル発着時代の1990年3月末時点$${^6}$$で1日2本のみの運行であったが、名護バスターミナル発着となった1993年3月末時点$${^7}$$では1日4本へと増便された。
79番・天仁屋線/80番・嘉陽線 ⇒ 廃止
旧・久志村内線であった79番・天仁屋線、80番・嘉陽線は、1994年10月13日をもって路線自体が廃止となった$${^8}$$。
この2路線は、北部支線でありながら、1993年12月27日から開始された琉球バスとの共同運行の対象路線とはならず、引き続き沖縄バス単独運行となった路線であり、北部支線として長く維持する予定は無かったのかもしれない。なお運行ルート自体は、78番・名護東部線(と74番・名護東部線)がカバーしていたため、2路線の廃止に伴い、バスが走らなくなるエリアは無かった。
1995年に久志バスターミナルは廃止
1995年5月28日をもって久志バスターミナルは廃止された。なお、久志出張所の営業所としての機能は、1987年1月に先行して名護出張所に統合されていたようなので、駐機場として機能が残っていただけであった。
最後まで残った久志バスターミナルを起終点とするバス路線は、22番・久志線のみであった。久志線は、久志バスターミナルの廃止に伴い、バスターミナル~安慶名が廃止となり、那覇バスターミナル~安慶名(駐車場)となる22番・安慶名線へと変更された。
同時に77番・名護東線が増便されたようだが、久志バスターミナル~安慶名は、22番・久志線の1日37本(1994年3月末時点$${^9}$$)が丸ごと無くなり大幅に減便となった。
跡地は辺野古公民館に
久志バスターミナルの土地は、1982年1月に沖縄バスが購入しているが、バスターミナル廃止後は、名護市に売却され、辺野古公民館が建設されたようである。
旧・久志バスターミナルの前面道路上には、住所に由来した辺野古バス停が設置された。2024年1月現在は、那覇~名護を結ぶ77番・名護東線と、うるま市~名護を結ぶ22番・名護~うるま線の2路線が、1日23本停車している。
脚注
沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.46
昭和50年度 運輸要覧(1975年10月 沖縄総合事務局運輸部発行)p.197
行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.76~77
昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.27
昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.28
平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.27
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.27
平成6年度 業務概況(1994年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.21