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幼少期の私①

幼少期とはいつまでのことを指すのか
良くわかっていませんが…(笑)
思い出してみようと思います。

先ず、なぜ思い出そうかと思ったのか…
なんとなく((´∀`))ケラケラ

まずは0歳から小学校入学前までの私(*^-^*)
箇条書きになるかもです!!

0歳から2歳までの記憶はそりゃありません(笑)
3歳から4歳で覚えているのは
オバァが大好きで沖縄から帰ってくると
ずっとオバァと過ごしていた。
また、弟が百日咳になったとき、
私が過ごしたのは沖縄♪
オバァに連れられて飛行機に乗り沖縄で1か月過ごした。
4歳の頃インフルエンザにかかり
血液検査をすると血小板が5万でかなり低く即入院。
回復したら血小板も正常になるだろうと思ったら、
低いままで再度検査。
ITP(特発性血小板減少性紫斑病)と診断され、
入退院を繰り返す子供に…(両親よ。申し訳ない。。。)

保育園に通園するも発表会の頃は、毎年入院していたので
一度も参加したことはなく、ケガをし出血すると
止まらなくなる危険性があったため、
保育園生らしい生活が出来た記憶はないなぁー。。。
ただ負けん気だけはあり、男の子を口で泣かしたり
時には手を挙げていた←最低な子供😨
ただ、入院中に看護師さんが時々近くの公園に
連れて行ってくれたり、ナース室で折り紙や
お医者さんごっこをして遊んでくれたり楽しい思い出ばかり!
同じ病棟には同じ病気で入院していること友達になり
毎日歌を歌って遊んでいました♪
6歳の卒園式も入院していたため病院から外泊許可をもらい参加。


そして6歳で人生初の衝撃な出来事が起こります……


自宅にいた朝の出来事…
ものすごい揺れがあり、タンス側を頭に寝ていた私と弟は
父親に反対側のテレビのほうへ思いっきり投げられ
何事!?!?!?!?!?!?!?
という衝撃で目が覚めました。

そう。ご存じの方もいると思います。

【阪神淡路大震災】


古いアパートで耐震性・基礎がしっかりしていたお陰か、
アパートの瓦のみが落ち家も壊れることなく済みました。
ただ、古かったので住民と話し合いをし、
近くの小学校に避難!!!!
そこでも衝撃があり、
まぁ酒盛りをして酔っぱらっている人が何人も!!
暴れてるは、叫んでるわで、父親がブチ切れ、
隣に住んでいた従妹夫婦と強制帰宅しました💦

小さいながらに衝撃が走りそれからは少しの物音でも怖くなり
真夏でも夜は頭から布団をかぶり寝ていました。
それからは地震に敏感になったのか、寝てる時でも
地震が来るのが分かるようになってしまい
夜でも「地震来る!!」とみんなを起こしていました。
ちょっとした私のトラウマです。

一方、家ではどんな子だったかと言うと…
人見知りしない子で知らない人に声かけられたら
ついていくような子で親は心配しかなかったそうです。
また、意地っ張りで頑固だったと母が言っておりました!
ただ、私の記憶の中で4歳ごろから父親に怒られると
叩かれたり、投げ飛ばされたり…
お風呂場に連れていかれ、お風呂の水を頭から
息できないほどかけられたりと今でいう虐待的な感じの家庭でした。

続く………

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