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思いつきコラム6〜責任感か、好奇心か〜

こんにちは、ナオです

先月のこと

以前勤めていた会社の大切な同期が結婚式を挙げた

コロナ渦でなかなかあげられなかった結婚式
約1年越しだったそうだ

自分は友達の結婚式を断り続けてきたが、何があっても同期の結婚式だけは出席すると心に決めていた

本当に良い式だった

鈍い自分はほとんど気付けなかったが、
随所に新婦(同期)の気配りが鏤められていたそう

2年以上ぶりに会う他の同期たちも変わらずに接してくれた
大切な報告もしてくれる

何年経っても良い部分は変わらず、中身が成長していく同期たちには尊敬と感謝でいっぱいだ

ただ、一つだけ引っかかった

同期の一人が元の会社に戻り、ある部署の責任者になっている

自分はなんとなく
「どうして戻ろうと思ったの?」
と聞いたことがある

「自分のやりたいことがここじゃないとできなかったから」

上から目線に聞こえるかもしれないが、この言葉には心から感心した

(※一度辞めたのに?とかそういうツッコミは無しにして)


しかしその後だ

やはり正直なところ、辞めることも常々考えているらしい
「じゃあなぜ今辞めないの?」
答えが
「責任者だし、そう簡単に辞めれないよ」

自分が引っかかったのはここである

責任があるから辞めれない
動けない

それって言い訳じゃない?

彼女は根本では、好奇心で自分の行動を決めていく
いわゆる感覚派
すごく面白い人間だった
それが「社会の常識」に洗脳された結果がコレ

残念というよりもったいない

もっと自由な発想で、自由に動き回って仕事をする
僕が彼女に抱いていた印象
勝手かもしれないが、過去の行動を見る限りこっちが本心な気がした

しかし彼女の人生だ
その会社に居続けることを決めているのは彼女の意志
コレからを決めるのも彼女自身
これ以上口出しするまい


かつての先輩にはこんなことを言う人もいた
「給料の多さは、責任の重さ」
コレを聞いた時は、「お金とは?」の部分を何も知らない23に若造ということもあり、なんとなく「へー、そうなんだ」くらいにしか思わなかった
※だって社長が一番お金もらってるし


今自分は「責任」から逃れ続けている
責任を理由に仕事をすると、面白くない上に疲れる
最初の会社で学んだ
年を追う毎に大きくなっていく責任は、知らぬ間に自分の心を蝕んでいく

だから全てを手放した

「お金は責任の対価ではなく、「価値」の対価である」
好奇心から生まれる商品・サービスが人への価値として提供され
お金へと変わる

それが本当の意味での仕事

仕える事

答えは人によるのだろうが、自分にとってはコレが正解

もちろん「責任の大きさ・重さ」で給料が変わることは否定しない
組織ではそれが常識なのだろう

だが、残念ながら組織での敷かれたレールの上

自分の前に必ずやっていた人がいて、今やっている人がいて、マニュアルがほぼ完成されている

人がやっていることをやりたがらない僕にはあまりにも酷

いま、社内の誰も目を向けなかったコーヒーに全力を注いでいる(ように見せている)

上等なエスプレッソマシンを携えておきながら使いこなせない
まともなラテ一つ作ることができない
それではあんまりじゃないか!

だから毎日練習した
「人ができるのに自分ができないわけがない」
あまりにも傲慢な考えでやり続けた

そしてようやくこぎつけた無料セミナー
刺激的だった

そしてまた練習の日々

いつの間にか周りがついて来れなくなってきた頃、唐突に異変が起きる

・「牛乳使用禁止令」
・「エスプレッソ(豆)使用禁止令」

あまりにも残酷な条例がほぼ同時に発令されてしまったのだ

な、、、なぜだ・・・

人がやっていること、誰でもできることは自分はやらなくてもいいと人に任せてきた
その代わり、誰もやっていないこと、できないことを自分で考えて作り上げてきた
カフェ一覧・そば屋一覧・八重山離島資料

そして、僕はいよいよ表に立つことが無くなった
ゲストと触れ合うことがない

良いものを作って人に喜んでもらおうと思い、意気揚々と好奇心だけを原動力にし、お金と時間をかけて作り上げたものが、儚く散った


だが、残念ながらこんなことで僕の好奇心は潰れはしない

フードトラック(移動販売車)から全国・海外展開まで発展させた
「REC COFFEE」のような例もある

組織で舞台が整わないなら、文句言ってないでもう自分でやるしかないのだ

言い訳無用

何が起こっても自己責任

そんなリスキーで、不安定で、楽しい世界へ飛び込む時は近い。

全ては好奇心のままに・・・。


それでは今日はここまで。また。

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