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首里城。光の世界遺産と負の世界遺産

沖縄戦で首里城がなぜ破壊されたのか。

それは首里城の下に日本軍司令部壕があったから。だから首里の町は徹底的に攻撃され、焼き尽くされた。(写真は琉球新報より)

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首里城の下にある1キロに及ぶ長く巨大な壕。第32軍司令部壕。

この壕はいったいどうやって作られたのか?

信じられないことだが、中学生や師範学校の生徒、住民などが勤労奉仕に駆り出され、手作業で掘らされたという。1944年の12月頃から来る日も来る日も掘り続け、掘り出した土を外へと運んだそうだ。手もそうとう痛かっただろう、どんなに辛かっただろうか。育ち盛りの少年たちにとっては重労働しているにも関わらず、与えられるのは粗末な食事で体が持たなかったに違いない。10年前に書いた舞台&ラジオドラマ「二イナとオジィの戦世」の中で、私はこんなふうに壕掘りのシーンを描いた。

「それにしても腹減ったなぁ〜。今日もあの薄くてまずい味噌汁かな」「壕を掘れば飯にありつける。もう少しだ!がんばれ!」。当時「太平洋のお汁」と呼ばれるとても薄い味噌汁が提供されていたらしい。戦時下の食について琉球新報スタイルに書いているので、興味がある方は読んでいただきたい。https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-808975.html

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アメリカ軍は沖縄戦で実に多くの記録写真を残している。この写真は鉄血勤皇隊の少年兵と思われるが、こんな幼い子供が壕を掘らされ、戦場で様々な任務を命じられ、男女合わせて2000人以上の学生が命を落としたことを忘れてはならない。

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第32軍司令部壕の入口は、意外な場所にひっそりとある。龍譚と弁財天堂をつなぐポイントで、ちょうど園比屋武御嶽の真下にあたり。この案内板の左手奥、ガジュマルの木がまるでヒンプンのように立ちはだかり、隠されているかのように第一坑道の鉄格子の扉がある。

1キロ以上にも及ぶ長く巨大なこの壕には、様々な部屋が作られていたようだが、私がインタビューさせていただいた宮平さんは壕の中には遊女の部屋もあったと言っていた。その部屋の前を通る時はなるべく見ないようにして通ったそうだ。

<10年前の写真を必死で捜索し、一部発見。インタビューさせていただいた元一中生(首里高校)の皆さん。左から養秀会館の岸本さん(故人)、宮平さん、神谷さん(故人)>

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「ニイナとオジィの戦世」の主人公・亀吉は16歳。軍からの情報を伝達する伝令という任務を任されていたため、砲弾が降りしきる中でも壕から壕へ情報伝達のため走り回っていた。敗戦が色濃くなり、日本軍が南部撤退を目前に控えたある日、亀吉は伝令のため、とある壕へ入ると、地元のおばさんから暗い声で話しかけられる。

「あい、亀吉くん、大変だったねぇ」「気を落とさんでね」

「何がですか?」

「あんたのお母さんと姉さんよ」

「母ちゃんとねーねーが?」

「空襲…首里グスクが三日三晩燃え続けた日に亡くなった…」

「あの空襲で… てっきり国頭へ疎開したとばかり」

「あんたも一緒に国頭に行くって言っていたさ」

「畜生!俺が戦争は2週間で終わるって言ったばっかりに!」

「仕方ないじゃないか、先生方だってそう言ってたんだ。みんなそう思ってたんだから」

「誰も戦がどんなものか知らなかったんだ。この島は400年間、戦ったことがないんだからさぁ」

「いったい誰が始めたんだろう、こんな戦」

「亀吉、仇を打ちに行こう!」

「ダメよ、死んではダメ!お母さんとお姉さんの分もしっかり生きて!それが報いることになると思う!」

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戦後75年のメモリアルイヤーに、

首里城焼失という、当時の人々と同じ状況を私たちは体験させられている。

これは偶然なのだろうか?

首里城が燃えてしまってから、戦争体験者からは首里城の下の壕を公開するようにと、たくさんの声が上がった。

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首里城が燃えてからは壕のことばかり考えていたので、琉球新報で第32軍司令部壕を保存、公開してほしいという人々の声、投稿が掲載されるや、「やっと来た!」と、喜びのあまり切り抜きをしていた記事を順不同だが掲載する。

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沖縄の美を残すため、焼け野原の何もないところから立ち上がった伝統工芸の復興は、食べるものもない中で、どんなに大変なことだっただろうか。いつか城間栄順さんには直接お話を伺えたらと思っている。

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6月27日、県による壕保存に関する検討委員会が作られるとの発表。忘れ去られようとしていた首里城の下の負の世界遺産は、首里城が燃えたことで戦争体験者によって再び語られ、「忘れないで」という死者の声も、75年を経てようやく令和の世に届いた。

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県民意識調査では「司令部壕を保存し、公開すべきという意見」が74%に上ったというのは本当に驚きだった。首里城が燃えなければ、このような流れは生まれなかっただろう。

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首里城という光の世界遺産。その下に眠る日本軍指令部壕という「負の世界遺産」が世に露わされることで、2022年、首里城は本当の意味での再建がスタートできるように思う。

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美しい首里城の下に隠され続けた闇を、首里城自らが燃えて浮かび上がらせたような、そんな気がしてならない。

首里城再建は、沖縄の本当の平和を建てる時。






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