No.685 無くして分かった有り難み?
大分弁で言うなら「口もがい」(口ごたえ・反抗)をする事なき「ういやつ」でした。酷使にひたすら耐え続けて来た「米櫃付きレンジラック」(移動式物置台)でした。そこに備え付けられていた二つのコンセントの差し込み口の一つが、「お先に!」の一言もなく、私より先にイカれてしまったのです。
我が家では、瞬間湯沸かしポット用と炊飯器用にと大変重宝していました。なくしてみて初めてわかる有り難さは、人間に限らない様です。今更の感はありますが、使い勝手が良く、実に惜しいコンセント(片方)をなくしてしまったものだと残念至極です。
仕が方ないので、ガスコンロで茶の湯を沸かしました。ステンレス製の鍋に水を入れて火にかけると、泡が吹いて沸騰してきました。暇に任せてじっと見ていたら、高校時代に日本史で教わった「盟神探湯」(くがたち)の文字が思い浮かびました。
古代日本で行われていた神明裁判(神前裁判)のことで、正邪を判断するために熱湯に手を入れ、正しければ火傷しないが、嘘偽りを言っていると火傷をするというアニミズム的な裁判法です。非科学的なことこの上ない悪法です。誰一人として漏れなく火傷してしまうことは、疑いがないからです。
しかし、その湯が沸騰するのを見ながら、実際は手を入れるまでの罪人の様子や態度で、真偽を見定めようというやり方なのかなと思いました。炙り出しならぬ、湯ぶりだし?国家公認の巧妙な心理作戦です。気の弱い私など、湯を見た途端に白状してしまいそうです。
あれから6年が経ちましたが、片方のコンセントは使用不能のままです。しかし、「窮すれば通ず」(灸すれば通ず?)で、残りの一つのコンセント口に三又ソケットを付ければ機能は3倍です。オーバーヒートさせぬように、20年ものの米櫃付きレンジと付き合っています。