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No.1424 大根大好き!

寒くなると「おでん」が卓上をにぎわせますね。

その「おでん」の由来ですが、室町時代に豆腐を串に刺して焼き、みそを塗った「田楽」が発祥と言われているそうです。もっとも、我々一般人の口にもなじむようになったのは、江戸時代末期以降のお話で、地方色豊かな具材や出汁を用いた「おでん」が、綺羅星のように輝いて(?)います。その「おでん」の呼称は、昔の宮中言葉で「御田(おでん)」と呼んでいたことに由来しているのだとか。ヘーボタンです。

私の好きな具は「大根・こんにゃく・ちくわ」というオーソドックスなタイプです。あなたの、「おでん」の具ベスト3といったら何ですか?
 
参考に、「おでんの具ランキング! みんなが好きなおでん種・具材は?」(投票参加者2,413人 投票数11,798)による上位10品は、次のようでした。
第1位 大根   第2位 卵   
第3位 餅巾着  第4位 こんにゃく
第5位 牛すじ  第6位 糸こんにゃく
第7位 ちくわ  第8位 厚揚げ
第9位 はんぺん 第10位 がんもどき

そうだ!「餅巾着」を忘れていました。年末に搗いた「しいら」(大分弁で「餡の入っていない丸餅」のこと)をビニール袋に小分けにして冷凍室で保存しておき、揚げの中に詰めておでんの具にします。シンプルに美味いヤツです。

私は、大根おろしが好きです。焼き魚には必須ですが、ご飯に大根おろしをのせ、醤油を垂らして食べるだけでお代わりが出来ます。安上がり(?)な身体です。もっとも、鎌倉時代の某「押領使」(おうりょうし…平安時代から中世にかけて、兵を率いて反乱や凶賊の追討にあたった政府直属の官職)さんには、負けますが…。

(原文)…筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおおね)を万(よろず)にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
 或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追い返してげり。いと不思議に覚えて、「日ごろここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年ごろ頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候ふ」
と言ひて、失せにけり。
 深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。

『徒然草』第六十八段

(訳文)…筑紫の国に、何とかいう押領使がいたのだが、大根を万能薬だと思い込んで、毎朝二きれずつ焼いて食べることが長年に及んだ。
 ある時、人のいない隙を突いて敵が襲撃してきて、邸を取り囲み攻めてきた。すると、邸の中に二人の武士が現れて、命を惜しまずに奮戦して敵を全て追っ払ってしまった。何とも不思議に思った押領使は、
「普段お見かけしない方々がこうも戦ってくださるとは…。一体どこのどなたでしょう?」と尋ねると、
「長年あなたが信頼して毎朝お召し上がりいただいた大根どもでござる」 と言って消え去ってしまった。
 深く信じていたので、このような御利益もあったのだろう。

「鰯の頭も信心から」とか言います。信仰心が不思議な霊力を発揮する場合がある意味で使われたり、頑固にそう信じこんでいる人を、揶揄する場合に使われたりする諺のようですが、『徒然草』作者の兼好は、
「深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。」
と言っていますので、前者の意味で用いたようです。

私には「大根侍」はまだ現れませんが、ひょっとしたら、身体の中で悪者と闘ってくれているのかもしれません。見えない大根の精に感謝しています。

大根(だいこん)の原産地は、地中海沿岸又は中東と言われています。紀元前2200年の古代エジプトでは、玉ねぎやにんにくとおなじく、ピラミッド建設の労働者の食料であったそうです。日本では、弥生時代に中国から伝来しており、江戸時代には各地で盛んに栽培されるようになりました。

「全農とくしま」のページより

「大根(だいこ)引き大根で道を教へけり」
(大根を引き抜いている農夫に道を尋ねたら、大根で「あっち」と教えられたよ。)
画像が思い浮かぶような小林一茶(1763年~1828年)の1814年(文化11年)1月の歌です。この農夫も「大根侍」が味方してくれたことでしょう。江戸時代末期の句です。
 

※画像は、クリエイター・安良さんの「収穫前の大根」の1葉をかたじけなくしました。青空の元ですくすく成長する大根のイキの良さに「ほ」です!お礼を申し上げます。