先ずは、作品をご一読ください。
ご覧いただいた「一筆啓上賞」は、丸岡城(福井県坂井市丸岡町)に「日本一短い手紙文」があることを全国に知ってもらい、活字やメールでは伝わらない手紙文化の復権を目指す目的で、全国初の手紙のコンクールとして1993年(平成5年)に始まったそうです。
その「日本一短い手紙文」とは、徳川家康の功臣・本多作左衛門重次(1529年~1596年)が、1575年(天正3年)の長篠の戦の陣中から妻にあてて書いた手紙とされ、もとは、
「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」
とあったものが、いつしか
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
と変わったそうです。その短文は、起承転結の見本、簡潔明瞭の手本と言われてきました。
この手紙文の中に出てくる「お仙」とは、本多重次の嫡男・成重(1571年~1647年)のことで、幼名を仙千代といいました。後の越前丸岡藩の初代藩主となった人物です。
「一筆啓上賞」は、丸岡文化財団(公益財団法人)が始めた「日本一短い手紙」という志あるコンクールです。短くて、心に沁みるお話、心が痛むお話、心が温かくなるお話の宝箱がそこにはああります。我がコラムにおいでくださったように、「一筆啓上賞」のページをご訪問下さいますよう。
今から30年前の1993年(平成5年)に始まった「第1回一筆啓上賞 日本一短い『母』への手紙」の入賞作品数編を紹介して今日のお話を終わります。