No.1253 一服盛られた!
あえて「禁」を犯したくなったのは、次のような作品に出合ったからです。
千葉の海でのことだった。そんなに昔のことではない。私は生まれて初めて、水平線のむこうに太陽が沈んでいく所を、海岸で見た。輝きながら、太陽は少しずつ姿を消していく。その美しさに、私は息をのんだ。すっかり感動した私は、まわりの友達に、いった。
「ねえ、明日の朝、早く起きて、ここで太陽の昇るところ、見ましょうよ!」
「うん、見よう。」という返事を期待していた私は、みんなが黙っているので、びっくりした。
「なあに?早起きするのが、いやなの?」
一人が、ボソッと、いった。
「だって、太陽は、ここからは、上がんないもん。」
「え?!」
今度は、私のほうが、びっくりする番だった。
「じゃ、どこから上がるの?」
みんなは、反対側の林の方からだと説明してくれた。
この話を、この間、テレビの打ち合わせの時、なんかの拍子に私はみんなに話した。
「それにしても、一人くらい〝ええ、朝、ここに来てみよう。〟っていう人がいてもいいと思うんだけど、誰もいなかったのよ!」
私が、そういうと、そこに居たディレクターたちは、半分、笑いながら、一斉に、
「でも…」
といった。(みんな、知ってるんだ!)私は、この話を、今度は、母にした。
「ねえ、みんな知ってるのよ、沈んだところからは昇らないって!」
その時、母が私に聞いた。
「じゃ、どこから昇るの?」
娘も娘なら、母も母とは、こういう事を、いうのかもしれない。
1989年(平成元年)の黒柳徹子さん著『トットの欠落帖』の中にある「夕陽の輝き」というエッセーですから、今から35年以上前のお話でしょう。いや、「テレビの打ち合わせ」や「ディレクター」の言葉からすれば、1953年(昭和28年)2月1日のテレビ放送開始初日からテレビ出演をした女優さんだそうですから、それ以降のそう遠くないことでもあるのでしょう。
「この親にしてこの子あり」の模範例のような母子の会話に落語のオチのような軽快な笑いを禁じ得ず、また、心憎いほどの親子の世界観にウットリとさせられてしまうのです。何だか、クスリと笑いたくなる惚れ薬を盛られたようなイイ気分になりました。
※画像は、クリエイター・TresMe@Keisukeさんの「秋の一コマ」のサンセットです。ピュアな夕日の輝きです。お礼を申し上げます。