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No.1412 やってみよし!

後ろを振り返る癖があるのは、追走者が気になるマラソン体験の故ではありません。見落としたものがあるのではないかと、ついつい振り向いてしまうのです。

先日も、往時を懐かしみながら「中学校新聞」に書いたコラムを読み返していましたら、こんな記事に目が留まりました。

 自分がどんな人間なのかは、案外、自分が思っているよりも他人の見ていることの方が当たっていたりする。
 ある年の5月だったか、生徒と一緒にクレペリン検査(能力や性格、行動面の特徴を測定する心理検査)を受けた。乱数の足し算で、下一桁だけを素早く書いてゆくのだが、合計30分も続けて、頭が爆発しそうになった。その結果、
「要領よく、やることも細かくて気が利くが、もの固きに過ぎてやや窮屈」
と研究者から赤ペンで書いた診断のコメントが届いた。要するに「石頭」というお墨付きを頂いた次第。あれだけやらされて「石頭」とは何事かと思ったが、「そんなトコロもナイではナイ」と弱気になるところが妙に悲しい。
 一昨日、昼食用に買った170円もするカップ麺になみなみとお湯を注いだつもりだった。だが、湯沸かし器は、水のままだった。コードのコンセントが外れていた。どうしよう!という落胆よりも、どうなるのだろうか?の疑問の方が勝った。30分程おいてみた。   
 麺は、グチャグチャにならず、芯もなく食べやすい堅さになっていた。ただ熱がないので、スープが分離しなかった。運悪く、その日は「天ぷら蕎麦」だった。油の後口の悪さは、想い出したくないレベルにまで達した。後悔先に立たずである。
 結果として、
 二度と同じ轍は踏まないと心に決めた事
 『やってみなはれ。やらなわからしまへんで。』(鳥居信治郎)は本当だという事
 お湯(水)を替えない私は、確かに石頭かも知れないという事
が分かった。

(2011年6月の記事より)

いくつになっても「石頭」は治りません。あの日から13年、むしろ、依怙地に磨きがかかっています。こうなったら、どこまで固くなれるか興味津々です。ダイヤモンドにまで近づけられるのでしょうか?
『やってみなはれ。やらなわからしまへんで。』


※画像は、クリエイター・鉱物太郎さんの、タイトル「"ダイヤモンド物語:4月の誕生石が紡ぐ、美と科学の世界"」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。