見出し画像

No.1521 素浪人の一太刀!

ニュース(NEWS)とは、多角的に最新情報を収集して、読んだり聴いたりする人々に正しく報せることだと思います。
 
北=North、東=East、西=West、南=Southの頭文字を一語にすれば「NEWS」となり、近くは地元、遠くは世界を見据えて報道する視点は、昔から行われてきた英語圏共通の発想だと言えます。
 
では、大分合同新聞のコラム名「東西南北」の由来・出典は英単語から?そこに、面白い話がありました。お目汚しでしょうがご一読ください。
 
中国、盛唐(712年~765年)の時代に、詩人・高適(?~765年)が、友人の杜甫(712年~770年)に贈った「人日寄社二拾遺」(人日、杜二拾遺に寄す)の詩(七言排律)があります。
 
「人日」(じんじつ)とは1月7日の風習をいい、「社二」(とじ)とは杜甫への親称をいったものであり、「拾遺」(しゅうい)とは官名のこと(杜甫は左拾遺に任じられたことがある)をいうそうです。その詩の終わりの二句は、次のようなものでした。
 
「龍鐘 還(ま)た忝(かたじ)けなくす二千石
 愧(は)ず 爾(なんぢ)東西南北の人」
(この私は、老いさらばえてもまだ刺吏などという職を頂戴している。
無位無官、四方の土地を放浪している自由な君に対して恥ずかしい。)
と訳されています。
 
つまり、
「『東西南北』とは、定まった家も職もなく、あっちこっちを点々とする浪人」
「よくいえば天下の自由人だが、本当は、細々と浪人生活を送らざるを得ない人」
であって、その精神に拠ったのが大分合同新聞コラム「東西南北」の謂われだろうというのです。2018年(平成30年)に87歳で亡くなられた大分合同新聞取締役主筆の南里俊作氏が、1982年(昭和57年)4月1日に書かれたコラムに学びました。実に謙虚にして含蓄ある言葉の意味だったのだなと恐れ入り、興味深く読みました。
 
一昨日の「東西南北」は、次のような記事でした。大分の読者だけに読んでもらうのはもったいないと思い、紹介する次第です。

 原型は軍隊の夜の命令伝達用に考案した「夜間文字」だった。視覚障害者に便利なものだが、複雑で難しかった。これを改良し六つの点で表す方式の「点字」を生み出したのはフランス・パリの盲学校の生徒だったルイ・ブライユ(1809~52年)。1825年、まだ15歳の時だった▼ブライユの点字が画期的だったのは、シンプルで覚えやすく、点字盤を使って文を書くことも容易だった点だ。授業でノートを取ったり、作文を書いたりすることもできる。日本では盲唖学校の教師・石川倉次(1859~1944年)が1890年、ブライユの点字を日本語に置き換えた日本点字を完成させた(日本点字委員会監修『点字を生み出した人びと』)▼書籍などの読み書きばかりではない。商品の包装やエレベーターなど、点字はさまざまな場面で障害者の日常を支えてきた。身の回りの多くのものが視覚情報に頼っている。デジタル技術も障害者の助けになるが、注文用タブレットなど、かえって妨げになるケースも耳にする▼省力化や人件費削減を理由に、さまざまなサービスで無人化、電子化が進む。効率の名の下に、立場の弱い人に犠牲を強いていないだろうか。点字誕生から200年。最近よく言われる「誰一人取り残さない社会」というフレーズの内実が気にかかる。(E)

大分合同新聞「東西南北」より

私は、素浪人が天下国家に一太刀浴びせた様な思いでコラムを読みました。
 
さて、3月18日は「点字ブロックの日」だそうです。1965年(昭和40年)に発明家で社会事業家の三宅精一氏によって考案され、1967年(昭和42年)の3月18日、岡山市にある岡山県立岡山盲学校付近の国道250号原尾島交差点に、世界で初めて点字ブロックが敷設された出来事にちなんでいるといいます。 日本が発祥だったのですね!素晴らしい!
 
「卒寿過ぎ残りし視野を集中しひ孫の顔を引き寄せて見る」
 埼玉県 島村 正さん
「第50回記念全国視覚障害者文芸大会」(2024年11月)短歌の部入賞


※画像は、クリエイター・井垣利英🌹ちょこっとマナー&会話美人ひと言レッスンさんの、タイトル「白いツエを持った人に、声をかけて分かった大切なこと。ウィズコロナのマナー」の「新幹線のホームと点字ブロック」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。