No.1304 句のこころ
夏というと、強く心にのこる二つの句があります。
「夏草に 這上がりたる 捨蚕かな」
村上鬼城(1865年~1938年)の句です。『鬼城句集』(1917年、中央出版協会)が出典だそうです。
「捨蚕」(すてこ)は、病気にかかったり、発育不良のために野原や川に捨てられたりする蚕のことです。人から見放され、生きるすべを失った小さな命が、生い茂る夏草に死力を尽くして這い上がっている様子を詠んだものです。その先に何があるかも分らぬまま。
捨てられた蚕が「なにくそ、死んでたまるか!」とでもいうように力を振り絞って夏草にしがみついて歩を進めます。まるで、そうしなければおられないかのような小さな命の必死の思いが鬼城の句に籠められ、写実的でありながら、強い叙情性のある歌だと思います。
村上鬼城は、東京生まれの俳人ですが、父は鳥取藩士でした。母方の養子となり、村上姓を名乗りました。軍人を目指すも、耳の疾患のために断念し、法律を学んで司法代書人となりました。そのかたわら俳句を詠み、正岡子規・高浜虚子に師事し、「ホトトギス」の代表的俳人の一人として活躍したそうです。1938年(昭和13年)に74才で没しました。
鬼城の作風は、
「自らも不遇な環境に置かれていたため、困窮した生活や人生の諦念、弱者や病気への苦しみなど、独特の倫理観で憐れみ、哀しみを詠った句が多いのが特色である。」
と言われているようです。「捨蚕」の句は、まさにその代表格のような作品です。
人類史上最も過酷な夏を毎年生き永らえようとしている私たちもまた、世界に君臨する為政者たちの「捨蚕」に過ぎないのでしょうか?
「おそるべき 君等の乳房 夏来(た)る」
この句の作者は、西東三鬼(1900年~1962年)です。昭和初期に活躍した俳人で、本業は歯科医師です。患者さんに勧められて詠み始めたという異色の俳人です。
「おそるべき」と平仮名にしたところが秀逸に思われます。
「恐るべき」だと女性の乳房に颯爽としていて圧倒される思いを感じます。
「畏るべき」だと女性の乳房を母の象徴と神聖視しているように感じます。
どちらも読者にイメージしてもらって成り立つ句なのでしょう。
この句は、第二句集『夜の桃』(1948年、七洋社)に収められています。1946年(昭和21年)、三鬼が46歳の時に詠まれた句だと知りました。
第2次世界大戦後すぐの作品です。それまで和服やもんぺ姿だった女性の服装は、ボディーラインがよく分かる洋装に変わっていきました。衣服によって新しい時代を認識し、驚きと感慨をもって受け容れています。初夏ですから、山にも野にも公園にも植え込みにも緑色が多く、白いブラウスが映える季節です。そんな色彩感も感じられます。
『三鬼百句』(現代俳句社、1948年)で、自身がこの俳句の素直な解説しています。
「薄いブラウスに盛り上がった豊かな乳房は、見まいと思っても見ないで居られない。彼女等はそれを知ってゐて誇示する。彼女等は知らなくても万物の創始者が誇示せしめる」
敗戦後、男性たちに負けまい、新しい時代に参画したいと、女性たちが社会に出ていきました。そんな女性のたくましさを象徴する姿に驚きと畏敬をこめたのでしょうか。
蝉の謳歌するこの季節、少し古めかしい二つの句なのですが、1枚の絵か写真でも見るように思い出されてしまうのです。