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No.1114 夢でもし逢えたら

初夢というと「一富士二鷹三茄子」が吉とされます。駿河の国の「高い物」を順に挙げたという説があり、一に富士、二に足高山(富士山南麓にある愛鷹山)、三に初茄子の値段の高さのこととし、徳川家康がその言い始めだとか言われているようです。
 
しかし、「日本大百科全書」(小学館)によると、この言葉は江戸時代中期に広まったとされます。富士は「高大」、鷹は「掴み取り」、茄子は「成す」を表し、縁起の良い物を並べたという説もありました。また、家康が、風景は富士山、趣味は鷹狩り、食べ物は茄子がことのほか好きだったことから、家康の好きな物説などもあるようです。
 
「一富士二鷹三茄子」は、さらに「四扇五煙草六座頭」と続くのだそうです。「扇」は末広がりで子孫繁栄・商売繁盛を意味し、「煙草」は煙の勢いよく上がるさまを縁起の良いことととらえ、「座頭」は剃髪した琵琶法師のことで「毛がない」が「怪我無い」ことから家内安全に譬えられたとか。

おそらく四以降は、後人の付け足しかと思いますが、それらを考慮すると、「縁起説」の方に軍配を上げたくなってきます。静岡茶(延命)や三保の松原(長寿)が選ばれなかったのは、残念で不思議な気もしますが…。

「年暮れぬ春来べしとは思ひ寝にまさしく見えてかなふ初夢」
(年が暮れ、春が来るに違いないと思って眠れば、正しく思いの叶う初夢を見たことだ。)
鎌倉時代初期に成立したという西行法師の個人歌集『山家集』巻上・春1番で、初夢が叶った喜びをこのように詠んでいます。
 
10年前の暮れに、母が85歳で冥途に旅立ちました。私は、夢でもいいから母に会いたいと願うのですが、不肖の息子だからか、亡き母の夢を一度も見られませんでした。(もっとも、実際は覚えていないだけで、何度も夢に見ている可能性はあります。)ところが数年前の正月、風邪気味で、ずっと床に伏せって魘されていたせいか、初夢に母が現れました。
 
なんと、死亡宣告を受けた直後の母が、目を開けた夢です。もう、奇跡だと思いました。一瞬の声かけに少し頷き、そして、すぐに目を閉じて逝ってしまいました。はかない夢でしたが、深く心に刻まれました。刹那でも生きてくれた姿が見られたからです。
 
古来、日本人は、相手が自分を思うから夢に現れると考えたともいわれています。母は、こんな私を心配して私の前に現れたのか。そう思うと、泣けてくるほど深く感動した初夢でした。
 
最近は安心したのか諦めたのか、さっぱり心配してくれていないようです。
 
「初夢の覚めて忘れて一人かな」
 稲畑汀子(1931年~2022年)


※画像は、クリエイター・神城ゆみ * イラストレーター * 漫画描きさんの、タイトル「みんなのフォトギャラリー用イラスト【3】初夢・一富士二鷹三茄子」の1葉をかたじけなくしました。なんとも、微笑ましくなるイラストです。お礼を申し上げます。