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No.1410 ラッセーラー、ラッセーラー!

「うた草紙」とは「陸奥新報」(陸奥新報社、弘前市)に掲載された中村キネさんと兼平一子さんが執筆編集した、青森県に関連して詠まれている詩歌を幅広く拾い出して分かり易く解説したものだそうです。
 
「朝日新聞」に連載された大岡信氏の『折々のうた』に学び、その青森版を「陸奥新報」に連載したもののようです。それを『青森県 うた草紙』(中村キネ・兼平一子編著、北の街社)として本に纏めたのは、30年前の1994年(平成6年)1月25日のことでした。
 
畏友から頂いたその本の中には、青森の厳しくも豊かな生活や自然が歌われていました。その作品と編者の解説のほんの一部を拾い読みさせていただきました。

「ふる里の砂を秘めたる海鼠かな」(清水一舟女)
 〈砂を秘めたる〉に万感がこめられており、作者の脳裏にはふる里の波の音が響き、胸深く潮の香りがたちこめたことであろう。冷たい海鼠の感触までも伝わってくるような句である。ふる里から届いた海鼠によってよみがえってくる望郷の念が美しい。
 
「橇の鈴戸の面に聞ゆ旅慣れや津軽の国の春のあけぼの」(若山牧水)
 若山牧水(わかやま・ぼくすい)が青森県をおとずれたのは、大正五年三月二十日のことであった。そして滞留一カ月。この間、青森県の歌人たちは、酒好きの牧水を囲んで連日連夜飲み続けたと言われている。
 朝の静寂の中で聞く橇の鈴の音は、情緒のあるものだった。鈴の音が冴え渡る日もあれば、くぐもり聞こえる日もあり、今朝は凍(しば)れているなと思ったり、ひどい吹雪らしいと思ったりもしたものである。馬はまた自らの首の鈴の音にはげまされながら、北国の人と共に生きたのであろう。遠い日の雪道には、流れを越える馬の嘶(いなな)きと橇の鈴の音が常にあった。
 
「祖父よ あなたは眠っている
 誰もいない故郷の 赤いこけこっこの花の下
 墓石もない唯の石ころの下」(松本仁子)
 幼いころ、こけこっこの花で遊んだ。濃い紅色の花びらをつみとり、根もとをそっとはがして鼻の頭に張りつけると、にわとりになったようで「こけこっこー」と鳴きまねをしてあそんだ。
 重い時の流れの渦の中で、巻きこまれ、あるいは押し流されてふるさとを出ていった人たち。しろじろと広がる墓地を見守るのは、色あざやかに、どこかしいんと淋しいこけこっこの花。
 ふるさとにひとり眠る祖父に託して、〈ふるさと回帰〉の思いをうたう一編である。
 
「うち仰ぐ百寿の桜もみぢして与力番所の窓覆ひたり」(成田栄三)
 弘前公園の東内門をくぐると、目の前に白壁、格子窓の与力番所が建ち、桜の古木が傘のように枝葉を広げている。(中略)
 十月に入って朝夕の冷え込みが強くなり、秋晴れの日が続くようになると桜の葉もだんだんと色づいてくる。ヤマモミジやイタヤカエデのような鮮烈な紅葉ではないが、黄色からだいだい、そして朱色にとやさしい色のうつろいが、復元された与力番所の白障子、褐色の格子窓にしっくりと調和している。黒い幹に映える桜もみじの美しさは北国独特のものらしい。

『青森県 うた草紙』(中村キネ・兼平一子編著、北の街社)

1月から12月までにかかわる歌人たちの122作品が紹介されています。その『青森県 うた草紙』の序文で、歌人・大滝貞一氏は、「『うた草紙』は、そうした風土と人間の不離一体の絆を証した、尊い産土(うぶすな)讃歌である。」と述べておられました。青森の魅力が韻文のリズムと共に読者の心に染みわたります。灯火親しむ季節、お手に取ってみていただけたらとお薦めする次第です。


※画像は、クリエイター・歩きまわる写真館・ひらいさんの、タイトル「好きなカメラで撮った好きな写真(モノクロ)」から勇壮で躍動感ある「ねぶた」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。