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No.1439 文で明らかにすること

 イングランド中西部、グロスターシャーにあるディーンの森で、大規模な清掃作業が行われた。この際、1993年ごろのものとされるスナック菓子の袋が、昨日捨てられたかのような状態で見つかったことが報告され、改めて、「腐らない」(土にかえらない)ゴミに対して懸念が寄せられるに至っている。「デイリー・メール」紙が報じた。
 同紙では、主なゴミについて土にかえるまでの時間の長さを列挙している。土にかえるまでに時間がかかる、あるいは土にかえることのない物について、リサイクルが推奨されるのもうなずける。
 ゴミが土にかえるまでにかかる時間についての例は次のとおり。

●2週間…リンゴの芯
●1ヵ月…ペーパータオル、紙袋、新聞、ティッシュ(トイレットペーパーはさらに長くかかる)
●6週間…シリアルの箱、バナナの皮(気温が低い場合、さらに時間がかかる。果物の皮であっても「ゴミ」であることに変わりはない)
●2~3ヵ月…ミルクやジュースの紙パック
●6ヵ月…Tシャツなどの木綿衣料、ペーパーバックの書籍
●1年…薄いウール衣料
●2年…オレンジの皮、タバコの吸殻(10年以上かかることもある)
●5年…厚手のウール衣料
●10~20年…プラスチックの袋(中には1000年かかるものもあると主張する実験結果あり)
●30~40年…ナイロン製品、使い捨てオムツ(500年かかるとする説もあり)
●50年…缶、車のタイヤ、コーヒーカップ、皮革製品(厚い革製品は80年かかるという)
●75~80年…クリスプス(ポテトチップス)などのパッケージ(袋)
●200年…飲料アルミ缶(500年かかる場合もあり)
●500年…ペットボトル(完全に土にかえることはない)
●100万~200万年…ガラス容器、ガラスびん
●200万年以上…電池

「ONLINEジャーニー」の記事より

今から30年も前のお話ですが、すでにこういう指摘は、世界で始まっていたのでしょう。核燃料廃棄物に至っては、どれほど時間がかかるものなのか、想像もつきません。

そして、今があるのですが、この30年の間にゴミ問題は改善されることもある一方で、人々や企業や自治体や国の努力のわりには「地球温暖化」や「環境破壊」の目に見える軽減には至っていないように思います。
 
過日行った「ゴミ問題について」の生徒の小論文の中に、その原因は二つが指摘されるとし、「無知」と「自分本位の行動」からくるものだと断定しました。各論はあるとしても、「知る」ことの大切さは否定できないことを上記の資料は示しています。現在、地球にやさしい様々な商品の改善が行われており、30年も昔のままではないにせよ、やはり、驚きの数字であることに違いはありません。
 
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」。
そんな恐ろしい予言めいたことを述べたのは、フランスの社会人類学者・レヴィ=ストロース(1908年~2009年)の『悲しき熱帯』(1955年)の最終章にある言葉だそうです。さまざまな地球上の問題(地球温暖化、環境破壊、異常気象、自然災害、砂漠化、紛争や戦争ほか)が人類を住めない惑星にしつつあるのではないかと言う疑念が、杞憂で終わりそうにないからです。69年も前に、そんな鋭い視点で世界を見つめていたのでしょうか。
 
松岡正剛氏も「千夜千冊の317夜」(2001年6月19日)で、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』をかなりの紙幅を割いて取り上げていました。
 
北アメリカ北東部の森林地帯に居住していたインディアンのイロコイ族には、
「どんなことも七世代先まで考えて決めなければならない」
という、畏れかしこみたくなる格言があるそうです。どんなことでも話し合いで決める際には、7世代先の子孫の幸せを判断基準とするそうです。私たち現代人の及ばぬ発想です。
 
また、アメリカの南西部に先住するインディアンのナバホ族には、
「地球は先祖から譲り受けたものではない。子孫から借りているものだ」
という有名なことわざもありました。前述のイロコイ族と共通するような大きな観点でものごとを考えているように思います。インディアンだけではなく、人類にとって大切な思想です。

近代文明を盾にし武器にした移民たちは、武力をもってインディアンから土地も命も思想も奪おうとしました。その未来を見通し不足をいとわぬ彼らの考え方に学ぶことなく、利便性と繁栄を追求してきた現在人のわれわれは、大きな代償を受けつつあるように思われてなりません。しかも、子々孫々にわたる…。いったい、文明とは何でしょうか?


※画像は、クリエイター・Tajifusenさんの「ズニ village」の1葉をかたじけなくしました。その説明文には、次のように在りました。
「アメリカの田舎で先住民がひっそり暮らしていました。その村にあるコインランドリーで私はインディアンの子供たちに囲まれたことがあります。アジア人が珍しかったのでしょう、大きくてキラキラした目で私を見上げる姿は、かわいいキャラクターのようでした。」
お礼を申し上げます。