No.1295 忠孝の子犬
子供たちの食い入るように本を読む姿が思い浮かぶお話を、一つご紹介させて下さい。
【本文】…藤次郎といふ者、外に出てしとき、犬の子の、はなはだしき愛らしきを見て、もらひて帰り、家に飼ふ。この犬、その親犬の居所に、夜ごとに行きてそのかたはらに伏す。魚肉など得たるときは、口に含みて持ち行き、親犬に与ふ。 その道ほど、およそ三町あまりなり。 藤次郎、大いに驚き感じけるが、たはぶれに犬を叱りて、「人の家に犬を飼ふことは、夜を守らしめんためなり。 しかるし、汝(なんじ)わが家に養はれながら、夜ごとに外にありて、おのれが職をつとめざるこそ不忠なれ」と言ひけるに、その夜より、隔夜に、主人の家と親の飼はれし家に伏しけり。
【訳文】…藤次郎という男が、外出した時に、子犬でたいそう可愛らしいのを見つけ、もらって帰り、家で飼うことにした。子犬は親犬のいる家に毎晩行って、その傍で寝た。魚肉などをもらった時は、くわえて運び、親に与えた。その(藤次郎の家と親犬の家との)距離は、およそ330メートルもある。 藤次郎はとても驚き、心を打たれたが、冗談半分に子犬を叱りつけ、『人が犬を飼うのは、夜、見張りをさせるためだ。それなのに、お前は我が家で飼われているのにもかかわらず、毎晩外に行ってしまい、自分の役割を果たさぬ不忠者じゃ!』と言ったところ、その日の夜から、1日おきに男の家と親犬が飼われている家で寝るようになった。
今日は7月10日。何と(710)いい話でしょう!
人心を読む(?)子犬の話は、親に「孝行」、主に「忠義」の美談として、子ども達の情操教育に一役買っているのでしょうか。子供たちは、子犬に勝手に名前を考えて、空想の世界で親しげに遊んだかも知れません。「忠犬ハチ公」ならずとも、人の話を理解するこんな賢く可愛い(大分弁なら「えらしい!」)子犬もいたのですね。そんな体験をお持ちの方は、ぜひ教えてください。
このお話が載っている『思斎漫録』(1832年?)は、江戸時代後期の朱子学者・中村弘毅(ひろたけ、字は新斎ほか)により児童向けに著された随筆集です。弘毅は、1835年(天保5年)に83歳で没したとかいいます。
なお、『思斎漫録』には、私の大好きな「亀田窮楽という人物の孝行譚」も載っています。「仁の音」(411号、819号、1128号)で過去3回も取り上げてしまいました。(どんだけ!?)ご一読いただけますなら幸甚です。
※画像は、クリエイター・フジさんの「ワンちゃん」の1葉をかたじけなくしました。何かを訴えるようなまなざしがイイですね。お礼申し上げます。