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No.808 ♪ ほう ほう ほたるこい

2月24日(金)、大分合同新聞「灯」欄に高校時代の恩師後藤宗俊先生(別府大学名誉教授)の寄稿が載っていました。後藤先生には、40年以上も前に日田高校で日本史を教えていただきました。淡々としたお話の中にもさりげないウィットで生徒の心をつかむ、私たちには待ち遠しい日本史の時間でした。
 
恩師は、その後、高校教諭を経て県の文化財課で辣腕を振るわれ、さらに別府大学史学科の教壇に立ち、考古学者として多くの人材を育てられました。
 
「灯」に書かれたお話は、次のようなものでした。
「今年の元日。BSテレ東の『武田鉄矢の昭和は輝いていた』で、日本の冬の風景を歌った名曲の数々を視聴した。その中で特に心に残った歌がある。作詞阿久悠、作曲三木たかしによる『北の蛍』。1984(昭和59)年、仲代達矢、岩下志麻主演で公開された同名の映画の主題歌である。
 ― 山が泣く風が泣く 少し遅れて雪が泣く
 ― ホーホー蛍 翔んで行け 恋しい男の胸へ行け
歌うのはご存じ森進一。この歌はやはりこの人でなければと思う。そんな歌唱だった。宗教学者の山折哲雄氏はこの歌を聴いて、平安時代の歌人和泉式部の歌を思い起こしたという(「『歌』の精神史」中公文庫)。すなわち
 ― もの思えば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る(後拾遺和歌集)
 作者は恋しい人に去られた悲しみの中でこの歌を詠んだ。深い闇の中に光る蛍は古来、人の魂の浮遊と結び付けられ多くの詩歌に詠まれてきた。
 ここで子どもの頃の思い出を一つ。郷里日田の三隈川の川辺。夕闇の中、2人の兄と蛍を見に出かけた。兄たちは先端に葦の葉を束ねた細いササ竹を手にして、時には川の浅瀬にまで踏み込んで蛍を追うということもあった。私はそんな様子を岸辺にかがみ込んで見ていた。
 今思えば随分と危ない遊びだったわけだが、あの時は、子ども心にも他の一般の虫捕りとは違う、何かしらの風趣を感じていたように思う。」
 
後藤先生は終戦の年が7歳だったと思われますから、その前後の頃の記憶でしょう。昭和20年代の田舎の子供たちには、抑圧されながらも自然と対話できる自由な心があったようです。生き物は、友達のような存在だったのかも知れません。
 
私は田舎に「ど」の付く山村の農家の出ですが、子供時代5月下旬の田植えが過ぎたころには蛍がたくさん飛び交いました。川幅5m前後の細い川は、まだ汚されずに済んでいたので餌となるカワニナもよく育ったのでしょう。
 
田舎道には街灯とてなく、家々が山にへばりつくように散在しておりましたから、夜ともなると辺り一面真っ暗です。蛍は、浮遊するのですが、その光が田んぼの水面にも映り、何か怪しげで寂しげだったのを畦道で見ていた記憶は、今も残っています。ホタルは狩ったり捕らえたりするものではなく、子ども心にも見て楽しむ初夏の風物詩でした。
 
♪  ほう ほう ほたる来い 
    あっちの水は苦いぞ 
    こっちの水は甘いぞ
    ほう ほう ほたる来い
童謡「ほたるこい」の歌詞ですが、まさに甘い言葉で呼びかけて誘ったものです。甘い水とは、いわゆる糖分の入った甘さをいうのではなく、ホタルの口に合ったうまい水のことを言ったのではなかろうかと推測します。

さて、「ほたるこい」を歌ったものの、本当にホタルには聞こえていたのでしょうか?「下関市 ホタルマスター検定 小学生用」(問題集)に面白い問題を見つけました。
問題 23 コオロギやキリギリスにあって、ホタルにないものは何でしょうか?
① 目   ② 耳   ③ 口

答え 23
② 耳
説明:コオロギはオスとメスの出会に音を使うので耳がありますが、ホタルは使わないので、耳はありません。

な・なんですとー!耳はないのですか?どうりで、悠々と飛び回るものの、いくら歌ってもこっちにやってこないわけです。童謡のロマンは少しも揺るぎませんが、ホタルへの認識を新たにさせられた夜でした。

「ほうたるや闇が手首を掴みたり」
 藤田直子(1950年~)


※画像は、クリエイター・kanokoさんの、タイトル「ほたるのひかり」をかたじけなくしました。オリジナルの絵は詩的で心なごませてくれます。お礼申します。