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No.1121 愛のキューピット

「心」と「言葉」に気持ちよく酔ったことがあります。
 
鎌倉時代末期に生きた悦子(えつし)内親王(1259年~1332年)は、第88代・後嵯峨天皇(1220年~1272年)の第二皇女です。女院号は、延政門院(えんせいもんいん)。74歳で崩御されました。
 
その悦子ちゃんが幼くていらっしゃった時に、父親の御所に赴く人がいたので、伝言を依頼した「なぞかけ歌」のお話が、『徒然草』(第62段)に取り上げられています。御存知の方も多いかと思いますが、その可愛らしいユニークな心をノックしてください。
 
「延政門院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、
 二つ文字 牛の角文字 すぐな文字 ゆがみ文字とぞ 君は覚ゆる
〇〇〇〇思ひ参らせ給ふとなり。」
 (「〇〇〇〇」は、この歌の要となる「なぞなぞの答え」なので、私が隠しました。)

「二つ文字」「牛の角文字」「すぐな文字」「ゆがみ文字」は、それぞれ平仮名一字をさします。悦子ちゃんが、公務多忙でなかなか一緒に遊んでくれない父親のことを「〇〇〇〇思ひ参らせ給ふ」という文の流れもヒントにしながら答えを考えてみてください。
 
さて、答え合わせです。
「二つ文字」
→漢字の「二」なので、「こ」。
「牛の角文字」
→牛の角の形なので、「い」。
「すぐな文字」
→まっ直の字なので、「し」。
「ゆがみ文字」
→歪んだ文字なので、「く」。
となることから「恋しく」お父さんのことを思っているという解でした。
 
こんな和歌を幼い娘からもらったら、すごく嬉しいですよね! でしょう?

この話は、悦子内親王が6歳から14歳頃までの間の話だとされています。「こいしく」は、正しい言葉遣いなら「こひしく」となるのでしょう。既にこの時代に言葉の乱れがあったかどうか分かりませんが、仮名遣いの誤用は普通にあっただろうと思います。その意味で「幼い子のなぞかけ」という観点や「牛の角」という可愛いたとえに、私は「ほ」の字なのです。
 
私は、この歌を彼女が10歳前後の頃と設定しています。もしそうなら、1269年前後の歌となります。父親の御嵯峨天皇は、その数年後の1272年に崩御されますから、あの感動の歌が、いっそう心に沁みてくるのです。天皇の心にもかわいらしく刻まれていたことでしょう。
 
もっとも、この歌を後人の作だという見方の人もおられます。事実はどちらか分かりませんが、少なくともそんなエピソードを生む悦子ちゃんのお人柄だったのだと考えます。
 
さて、いったん、悦子内親王の幼いころの歌だということから離れて、この歌を独立させてみると、何ということでしょう!立派な「恋のなぞかけ歌」にヘンシーンするではありませんか?
 
この際、好きなあの人に、なぞかけの歌のこの一首を書いてlove letterにするなんてどうでしょう?「こいしく」君はおぼゆる。解いた思い人(君か?姫か?)は笑顔になること間違いなし!
 
ひょっとしたら、悦子内親王は、700年前の愛のキューピットなのかも?


※画像は、クリエイター・ますのさんの「バンコクの牛」の1葉をかたじけなくしました。角の形は、立派な「い」。堂々たるイイお写真です。お礼申し上げます。