No.1005 王冠一個、17,900円!?
思い起こせば、30年もの年月が経っていました。
その時の気持ちを四字熟語で表せば、「後悔噬臍」(こうかいぜいせい)あるいは、「雪上加霜」(せつじょうかそう)、その意味をことわざで例えるなら「後悔先に立たず」あるいは「弱り目に祟り目(泣きっ面に蜂)」ということになるのでしょう。その哀れに悲しくて、思いっきり情けない「トホホの主人公」、それは私です。
「平成」の元号もすっかり落ち着き、慣れ親しめるようになったある年の夏の事です。私は、ある研修会に参加し、力いっぱい勉強した後、お腹いっぱい食べながら、研修仲間と飲酒に及んでおりました。ビールを友人に注ごうと持って来たまでは良かったのですが、栓抜きが見つかりません。運悪く、栓抜きを帯に携えた仲居さんは料理を運ぶために調理場に立ったようでした。
その時、私は、某TV番組で見たことのある「コンテナ(ビール瓶ケース)の角でビール瓶の蓋を開ける裏ワザ」を思い出し、「生兵法は大怪我の元…」の先人の教えも何のその、早速試してみたのでした。
コンテナの角にビールの蓋を引っかけ、「えいやっ!」と力任せに瓶を下に引きました。
「スポッ!」と快音を立て、蓋は一発で抜けました。100%計算通りの運びでした。やんややんやの大喝采となるはずでした。
ところが、快音と同時に、王冠は「意趣返し」とばかりに私の眼鏡の右側を直撃し、丸く割れた眼鏡の破片が右目に飛び込みました。もう、一瞬の出来事で、瞬きするより速いスピードでした。
「しまった!目をやられたぁ!」
私は小説『羅生門』で、下人の姿に驚き、「弩(いしゆみ)にでもはじかれた」老婆のように、飛び上がりました。そして、「何てバカなことをしてしまったんだろう!」という後悔とショックに背中を強く押されながら、男子トイレに駆け込みました。
目玉を動かすと、ゴロゴロしたガラスの破片が当たります。流血しているに違いないと、トイレの鏡の前で、恐る恐る、慎重に、ゆっくりと右目を開けました。幸い、充血はしていましたが、血は流れ出ていませんでした。「助かったー!」青ざめた自分の顔を見ながら、そう思いました。緊張していたからか、パニックに陥っていたからか、少しも痛みを感じませんでした。
夜の8時前後だったと思いますが、友人のT先生が、あちこちの眼科医に電話してくれ、ようやく引き受けてくれたのは、間違いなく70代後半と思われる、ほっそりした老女医さんでした。右目を機械でのぞき込むと、
「あらー、破片がいっぱい!こりゃ大変!すぐに取り出しましょう。」
というと、点眼液で麻痺させ、右目に鋭利なピンセットが少しずつ大写しになって近づいてきます。その怖い事といったらありません。
「ほら、取れた!」
「はい、またとれた!」
「まだまだあるわねー!」
と少し高いその声は、いかにも楽しんでいるように聞こえます。私はピンセットの先が近づくたびに恐怖を覚え、気分が悪くなり、何度も生唾をのみました。女先生は、実に丁寧に十数個ものガラスの破片を全て取り除き、ご親切にも見せてくれました。
ホテルの会場から眼科医までの往復のタクシー代2,100円、時間外診察・治療代5,200円、翌日の眼鏡店への往復タクシー代2,200円、レンズ代8,400円、占めて17,900円がアワと消えました。それもこれも、後先を考えない私の愚行がもたらした結果でした。
落語の「サンマは目黒に限る」ように(?)「ビールの蓋は栓抜きに限る」という戒めです。私は「不惑」を過ぎた年齢でいながら、このザマでした。
眼鏡をかけていたおかげで、ワンクッションがあったからあの程度で済んだのではないかと思います。あの王冠の衝撃を直に目に受けていたら、光を失っていたかもしれません。まさに、不幸中の幸いでした。今は、飛蚊症の両目となりましたが…。
※画像は、クリエイター・ゆういちさんの、「ハイネケンの王冠」の1葉をかたじけなくしました。私の飲んだのは、国産ビールでしたが…。お礼を申し上げます。