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No.750 ななそじの としのはじめの ごあいさつ
詩人・中桐雅夫(本名、白神鉱一)は、1919年(大正8年)~1983年(昭和58年)の人で、讀賣新聞政治部の記者として働きました。63歳で没しましたが、アルコールの故なしとしない人物であったようです。この作品にも、そんな彼が見て取れます。
「きのうはあすに」
新年は、死んだ人をしのぶためにある、
心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、
おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ、
でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?
人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる、
きょうはきのうに、きのうはあすになる、
どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる、
でなければ、どうしてこの一年を生きてゆける?
『会社の人事』(晶文社、1979年、P140)
詩集『会社の人事』には、Ⅰに26作品、Ⅱに13作品、Ⅲに8作品、Ⅳに15作品が収められており、「きのうはあすに」の詩は、全体の最後に据えられていました。そこには作者の意図があったでしょうし、この詩への思い入れの強さが表れていると思います。
「昨日は今日」になり「昨日の今日は明日」へと移って行きます。昨日・今日・明日とつながっていく中で、「きのうはあすになる」ということは、「こうして実感を伴って生きている今日」を大事にすることの意味を問うているように私には思われます。
この世に永住不変なものはなく、近く親しき人との永訣、国家間の紛争や、宗教的・人種的対立や、度重なる自然災害や感染症からの脅威により、どれだけ多くの人々が血を流し、尊い命が奪われてきたことでしょう。
だからこそ、年の初めに「人を偲び」「己に問い」「朝から酒を飲み」「眼の前のものを愛する」ことができるのではないかとも思うのです。それはまた、「心を備えておく」ことの示唆でもあるように私は受け止めました。
そんな思いで、70代となる今年の日々を重ねてゆきたいと思います。
馬齢ばかりを重ねている至らぬ者ですが、本年も宜しくお願いいたします。
「故郷や 馬も元日 いたす顔」
小林一茶(1763年~1828年)
※画像は、クリエイター・ふうちゃんさんの、タイトル「自然17〜18|フォトギャラリー用」をかたじけなくしました。元旦に、いい絵にであいました。お礼申します。