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No.1146 二つの名前

2001年2月の私の学級通信「花自ら紅」のコラム欄にこんな話を書いてありました。

福岡には「親不孝通り」という通りがある。市内の繁華街にあり、ディスコ等の娯楽の場もあるところから、金がかかり親不孝をするからこの名があるのだという。
 ところが、このほど商店街の人々の意見で「親不孝通り」の名は「親富孝通り」とその字を改めたらしい。親子で買い物を楽しむ街にしたいとの商店側の考えからの命名である。
 「不孝」から「富孝」への脱却。若者に期待し、夢を託すような心が字に表れているように思う。プラス思考は大事ですよね。

2001年2月13日、学級通信「花自ら紅」第440号より

「親不孝通り」とは、390mほどの区間を言うらしく、1970年代に大手予備校が移転してきて以来、浪人生が多かったことからの命名だそうです。1990年前には若者であふれていた商店街でしたが、バブル崩壊後は景気の冷え込みや治安の悪化もあり、賑わいが減っていったといいます。
 
そこで、2000年(平成12年)を機に、一旦は「親富孝通り」と改称されたものの、昔のような賑わいが取り戻せなかったとかで、商店街の人々からの「親不孝通り」への名称復活運動が起こり、住民アンケートも行いました。
 
その結果、「親不孝通り」(約70%)、「親富孝通り」(約20%)、「親ふこう通り」(約10%)だったとかで、2017年(平成29年)に「親不孝通り」の名前に戻りました。「昔の名前で出ています!」ということになるのでしょうか?
 
私がコラムを書いた23年前には、まさか、その17年後に名称復活のドラマが生まれようとは、夢にも思いませんでした。地元の人々にとって、愛着のある名称だったのでしょう。考えようによっては、二つの名前を持った贅沢な通りであり、名前の歴史を背負った通りでもあるように思います。
 
「戻る」ことは勇気の要る決断だったりして、なかなか出来にくいことのように思います。しかし、新たな街づくり計画に地元と行政と社会が三位一体となって明るく住みよい街に生まれ変わっていることを知り、人々の先見性とその努力に敬意を覚えました。


※画像は、クリエイター・MIDORIさんの、「夕暮れ時の谷中銀座、夕焼けだんだん。」の1葉をかたじけなくしました。商店街の賑わいが活写されています。お礼申し上げます。