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No.757 60年前の雪の日の思い出

雪の思い出というと、1963年(昭和38年)の1月1日の事は忘れられません。私は10歳でした。調べてみたら、大分県日田市で39cm、平野部でも30cm以上の積雪を観測する記録的な大雪となったそうです。気象庁は、この災害を「昭和38年1月豪雪」(通称「さんぱち豪雪」)と命名していました。
 
前年の年末に叔父の家族4人が、東京から生家のある山里にたくさんの土産を持って帰省してくれました。大みそかから降り始めた雪で、正月1日の朝は、いちめんの銀世界となっていました。玄関を開けると、雪が倒れ込んできました。私は、従弟たちと庭に出、嬉々として雪合戦を始めました。
 
ところが、運悪く年下の従弟の投げた雪玉が、我々ではなく玄関のガラスに命中してしまいました。
「ガシャン!」
さあ、大変!私の父親は、戦争の復員兵でしたが、物を大切にしないことには大変厳しく、何か壊そうものなら頭にたんこぶが出来るほど容赦なくげん骨を食らわせました。
 
私は、「ああ、正月からゲンコツかぁ!」と観念しながら、直立不動で父の鳴神が落ちるのを待っていました。恐らく、「赤城の子守唄」で有名な東海林太郎の直立不動で歌う姿勢に遜色ないくらいの立ち姿だったと思います。
 
ところが、慌てて出てきたのは、父ではなくて叔父さんの方でした。そして、一言、
「怪我はしなかったか?」
と、われわれに声をかけたのです。
「へっ?」
 
こっぴどく怒られると思っていた私でしたが、叔父さんは、怒るより先ず子どもたちの怪我の方を心配してくれました。もう、その時の驚きは「ガーン!」とオノマトペで漫画のページいっぱいに描いたような印象でした。

「カルチャーショック」の言葉はまだ知りませんでしたが、恐らくそんな気持ちでした。緊張感から解放されてウルっときました。うちの父とは、エライ違いでした。おそらくどちらの考えも間違いではないのでしょうが…。
 
失敗したとき、どんな言葉を掛けたらよいのか、相手によっても、状況によっても変わってくることは避けられませんが、心していたいことだなという考え方の根っこが伸び始めたのは、この叔父さんのひと言からだったことをハッキリと思い出します。
 
あれから60年が経ちます。父は昭和50年に54歳で、叔父も同じころに53歳で亡くなりました。従弟も私も、唯一褒められるのは、おやじ超えができたことです。


※画像は、クリエイター・おかたろうさんの、タイトル「capsule」をかたじけなくしました。お礼申します。