No.515 今日の文章は、今までで一番長くなりました。ごめんなさい。
机の乱れは心の乱れ?胸に手を当てなくても、机の上の乱雑さでも人後に落ちてしまう私は、連休の初めに整理整頓をしました。散らかっていたメモ書きや切り抜きの中に、グレタ・トゥンベリさんの記事(大分合同新聞、2021年11月16日、グラスゴー共同宣言)が含まれていました。見出しは「グレタさん『口先だけ』文書採択を批判」とありました。引用します。
スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(18)は、2021年11月13日、英国での国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)で成果文書が採択されたのを受け、会議は口先だけだったとツイッターで批判した。
グレタさんは、「COP26は終わり。まとめると『ブラ・ブラ・ブラ』」と投稿した。「ブラ・ブラ・ブラ」は英語で、くだらないおしゃべりの意味。グレタさんはこの語句をたびたび使い、各国政府や産業界の地球温暖化対策は約束に行動が伴っていないと訴えてきた。
グレタさんは会期中に開催地グラスゴーを訪問。デモ参加後に演説し、COP26は「明白な失敗だ」と指摘していた。
そう書いてありました。グレタさんは、各国政府や産業界の要人たちに媚びを売ることなく、敵対視でもするかのように激しい怒りの言葉をぶつけます。しかも、憎々しげに口をとがらせてです。しかし、そうするようになったのは、彼女なりの憎悪の形成過程があったからなのです。
その3年前の2018年12月14日にポーランド・カトヴィツェでCOP24が行われました。その時に参加し演説した全文は、以下の通りです。
「私はグレタ・トゥンベリといいます。15歳です。スウェーデンから来ました。『クライメート・ジャスティス・ナウ』の代表として演説しています。
スウェーデンは小国なので、私たちが何をしようと問題ではないと言う人がたくさんいます。
でも私は、どんなに小さくても変化をもたらすことができると学びました。
もし、たった数人の子どもが学校へ行かなかっただけで世界中の注目を集めることができるのなら、私たちが真に望めば力を合わせて何ができるかを想像してみてください。しかしそのためには、それがどんなに不快なことであっても、はっきりと発言しなければなりません。
あなた方は人気低落を恐れるあまり、環境に優しい恒久的な経済成長のことしか語りません。非常ブレーキをかけることだけが唯一の理にかなった対策なのに、あなた方は私たちをこの混乱に陥れた、あの悪いアイデアを推進することしか口にしません。
それは大人げのない発言です。その重荷をも、あなた方は私たち子どもに負わせているのです。でも私は人気取りのことは考えません。私は気候の正義と生きている惑星のことを考えます。
私たちの文明は犠牲にされています。ごく少数の人たちが莫大なお金を稼ぎ続ける機会のために。私たちの生物圏は犠牲にされています。私の国のようにお金持ちの国の人たちがぜいたくな生活をするために。その苦しみは、少数の人のぜいたくのために、多くの人たちが払う代償なのです。
2078年に、私は75歳の誕生日を迎えます。もし私に子どもがいたら、一緒に過ごしているでしょう。子どもたちは私にあなた方のことを尋ねるかもしれません。まだ行動できる時間があるうちに、なぜあなた方は何もしなかったのかと。
あなた方は、自分の子どもたちを何よりも愛していると言いながら、その目の前で、子どもたちの未来を奪っています。
政治的に何が可能かではなく、何をする必要があるのかに目を向けようとしない限り、希望はありません。危機を危機として扱わなければ、解決することはできません。
化石燃料は地中にとどめ、公正さに目を向けなければなりません。この制度の中で解決することがそれほど難しいのであれば、制度そのものを変えるべきなのかもしれません。
私たちは、世界の指導者たちに相手にしてほしいと懇願するためここへ来たのではありません。あなた方はこれまでも私たちを無視してきました。そしてこれからも無視するでしょう。
私たちは言い訳を使い果たし、時間も使い果たそうとしています。
私たちは、あなた方が望もうと望むまいと、変化は訪れると告げるためにやって来ました。真の力は人々のものなのです。
ありがとうございました。」
会場は、盛んな拍手であふれましたが、その後、環境問題に関する大きな変化も対策も講じられないまま、ツゥンベリさんは責任の重さを個として耐えかねていました。そして、次第に大人たちへの憤りの牙を向けるようになってゆくのです。
翌2019年9月23日に行われた、ニューヨークにある国連の地球温暖化サミットに招かれ演説をしました。そこに至るまでの彼女の深刻な悩みを知ったのは、連休中の5月7日に放送された「グレタひとりぼっちの挑戦 前編・後編」(NHK総合 15:15~16:00 16:05~16:50)でのことでした。
グレタさんは環境を守る観点から飛行機での渡米をせず、理解ある支援者と父親の3人で、イギリスからヨットでの横断に踏み切りました。船酔いや不眠や時化に悩まされながら、環境問題に果敢に取り組みながらも一人で負う責任の重さに押しつぶされそうになる発言があり、16歳の誠実な心をここまで追いつめている世界中の政治家、富裕層への強い疑問が浮かんできました。トゥンベリさんの憤りは、国連での激しい口調のスピーチに表れていました。彼女は、いきなりこう切り出しました。
「私が伝えたいことは、私たちはあなた方を見ているということです。そもそも、すべてが間違っているのです。私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです。
あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね。あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました。
それでも、私は、とても幸運な1人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。
なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。
30年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。なのに、あなた方は、事実から目を背け続け、必要な政策や解決策が見えてすらいないのに、この場所に来て「十分にやってきた」と言えるのでしょうか。
あなた方は、私たちの声を聞いている、緊急性は理解している、と言います。しかし、どんなに悲しく、怒りを感じるとしても、私はそれを信じたくありません。もし、この状況を本当に理解しているのに、行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです。
だから私は、信じることを拒むのです。今後10年間で(温室効果ガスの)排出量を半分にしようという、一般的な考え方があります。しかし、それによって世界の気温上昇を1,5度以内に抑えられる可能性は50%しかありません。
人間のコントロールを超えた、決して後戻りのできない連鎖反応が始まるリスクがあります。50%という数字は、あなた方にとっては受け入れられるものなのかもしれません。
しかし、この数字は、(気候変動が急激に進む転換点を意味する)「ティッピング・ポイント」や、変化が変化を呼ぶ相乗効果、有毒な大気汚染に隠されたさらなる温暖化、そして公平性や「気候正義」という側面が含まれていません。この数字は、私たちの世代が、何千億トンもの二酸化炭素を今は存在すらしない技術で吸収することをあてにしているのです。
私たちにとって、50%のリスクというのは決して受け入れられません。その結果と生きていかなくてはいけないのは私たちなのです。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が出した最もよい試算では、気温の上昇を1,5度以内に抑えられる可能性は67%とされています。
しかし、それを実現しようとした場合、2018年の1月1日にさかのぼって数えて、あと420ギガトンの二酸化炭素しか放出できないという計算になります。
今日、この数字は、すでにあと350ギガトン未満となっています。これまでと同じように取り組んでいれば問題は解決できるとか、何らかの技術が解決してくれるとか、よくそんなふりをすることができますね。今の放出のレベルのままでは、あと8年半たたないうちに許容できる二酸化炭素の放出量を超えてしまいます。
今日、これらの数値に沿った解決策や計画は全くありません。なぜなら、これらの数値はあなたたちにとってあまりにも受け入れがたく、そのことをありのままに伝えられるほど大人になっていないのです。
あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。『あなたたちを絶対に許さない』と。
私たちは、この場で、この瞬間から、線を引きます。ここから逃れることは許しません。世界は目を覚ましており、変化はやってきています。あなた方が好むと好まざるとにかかわらず。
ありがとうございました。」
グレタさんのいう「あなたたち」とは、狭義には、このような世界や環境を作り出してきた各国の政府関係者や政治家や関係する産業界のトップを意味するのでしょうが、広義には、そのような国の方針を許容したすべての国の大人たちを示唆しているのでしょう。それは、世界の大人たちに向けられた厳しいスピーチだったのです。それほどに、環境の現実的問題を知れば知る程、彼女のフラストレーションは高まっていたのです。そして、その事実を知りながら、国益を優先する人々は、環境を犠牲にしてきたのです。
ただ、トゥンベリさんのように、ささくれ立った感情を直截的な言葉や表情で伝えて顔を向かせるやり方が、多くの共感を得られるのか否か。世界的には、若者たちを中心に、環境問題への関心と緊急の対策を要望する大きなうねりが起きつつあるように見えます。そして、時間延ばしを許されない深刻な環境問題への解決策は緊急の課題なのです。
それでも、私は、今から30年前の1992年(平成4年)にリオデジャネイロで開催された「地球サミット」でのセヴァン・カリス=スズキ(12歳、カナダ)のスピーチの方に心惹かれてしまうのです。少し長い引用ですが、ご一読ください。
「こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。
エコというのは、子供環境運動(Environmental Children's Organization)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、自然環境を守るための活動をしています。あなたがた大人たちに、どうか生き方を変えて頂くよう、お願いする為に、自分たちでお金を集めて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。
今日、私たちが話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。なぜって、私たちが環境運動をしているのは、私たち自身の未来のため。私たち子どもが、自分の未来を失うことは、あなたがた大人が選挙で負けたり、株で損したりするのとは、次元の違う問題なのです。
私たちがこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳には届きません。どこにも行くところがなく、次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。だから、世界中の子どもたちや生き物たちに代わって、私たちが話すのです。
太陽のもとにでるのが、私はこわい。それは、オゾン層に穴があいているから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな危険な化学物質が混じっているか分からないから。
お父さんと一緒に、よくバンクーバーで魚釣りに行っていました。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。
そして今、毎日のように動物や植物たちが絶滅していくのを、私たちは耳にします。一度絶滅してしまった生き物は、もう永遠にもどってはこないのです。
私には小さいころからの夢がありました。それは、いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルや熱帯雨林を見ることでした。でも、私は見ることが出来ても、私の子どもたちは、見ることができるのでしょうか?あなたがた大人は、私ぐらいの年令の時に、今の私と同じように、未来の自分の子どもの心配をしたことがありますか?
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようにのんびりと構えています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。だから、せめて、「本当の解決法など持っていない」ということだけは、自覚して欲しいのです。
あなたがた大人は、オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。
だから、大人のみなさん、どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。
ここに集まっている大人のみなさんは、いろいろな国の政府の代表者や、企業や団体の代表者、そして、報道関係者の人たちです。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばさんです。そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族であり、3千万種類以上の生物からなる大家族です。いろいろな国の政府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きるものたちが1つの大家族だという事は、変えようがありません。
私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。わたしは、今のひどい環境を見て、怒りで心が震えていますが、それでも、自分を見失ってはいません。わたしは、今のひどい環境を見て、恐怖で体が震えていますが、それでも、自分の気持ちを世界の人たちに伝える勇気を持ち続けています。
私の国での無駄使いは大変なものです。買っては捨て、また買っては捨てています。そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国は、物が不足している南の国と分かち合おうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、少しでも手放すのがこわいのです。
カナダで暮らす私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。食べ物も、水も、お家も、何でも十分にあります。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたらきりがありません。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。一人の子どもが私たちにこう言ったからです。
『ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所をあげるのに。それから、やさしさと愛情もね。』
住むところもなく、今日、食べる物もない一人の子どもさえ、自分のことだけでなく、みんなと分かちあうことを考えているのに、全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、どうしてなんでしょうか?
この子ども達は、私と同じぐらいの年齢でした。私は、自分と同じくらいの年齢の子ども達が、こんな生活をしていたことが、とてもショックで頭から離れません。同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに、どこに生れついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。もしかしたら、私がここブラジルのリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないのです。そして、飢えに苦しむソマリアの子どもだったかもしれないし、大人たちの戦争の犠牲になった中東の子どもだったかもしれないし、インドで乞食をしている子どもだったかもしれないのです。
もし世界中の国の大人たちが戦争のために使っているお金を全部平和のために使えば、環境や飢餓の問題のために使えば、この地球がすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもですが、それでもこのことを知っています。
小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、
*争いをしないこと
*話しあいで解決すること
*他人を尊重すること
*ちらかしたら自分でかたづけること
*ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
*分かちあうこと
*そして欲張らないこと
ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに『するな』ということを、自分達はしているのですか?
みなさんは、今日、何のためにこの会議に出席しているのか、どうか、そのことだけは忘れないでください。そして、このような会議をいったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためなのです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めてようとしているのです。
親たちはよく『だいじょうぶ。すべてうまくいくよ』といって子ども達をなぐさめます。あるいは、『できるだけのことはしているから』とか、『この世の終わりじゃあるまいし』と言いますよね。だけど、今の地球の環境を見たら、もうこんな言葉を自分の子どもに向かって言えないと思います。わたしたち子どもの未来のことなんて、みなさんの議題の中にすら入っていないじゃないですか。みなさんは、私たち子どもの未来のことを本当に考えてくれているのですか?
私のお父さんは、いつも、『人間の価値は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる』と言っています。でも、私は、あなたがた大人がこの地球に対していることを見て、泣いています。それでも、あなたがた大人はいつも私たち子どもを愛していると言います。本当なのでしょうか?もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを言葉でなく、行動で示してください。
最後まで私たちの話をきいて下さって、ありがとうございました。」
セヴァン・カリス=スズキさんは、1979年11月生まれです。父親は日系カナダ人で母親がカナダ人。現代文学で博士号を取得したタラ・エリザベス・スズキと、著名なカナダの遺伝学者で環境問題活動家のデヴィッド・スズキ(生物学で博士号取得、日経カナダ人3世)の娘としてブリティッシュコロンビア州バンクーバーに生まれました。カリスさんは、エコロジーと進化生物学で2002年にエール大学で理学士の学位を取得。現在は、母親であり、環境問題活動家であり、講演者であり、著述家です。
私は、30年も前に、世界の国々を代表する知識層の人々の前で、12歳の少女が環境問題につてこんなにも熱意と真剣さを持って訴えたという事実を知りませんでした。彼女は、大人の良心と知性に訴えかけました。この時に、各国が国益よりも環境問題の具体的解決策にシフトチェンジしていたなら、トゥンベリさんの激しい怒りの言葉を聞かずに済んだのでしょう。しかし、更に今、トゥンベリさんの怒りさえ届かなかったとしたら、世界中の若者たちのデモの声をかき消したとしたら、地球はどうなるのでしょう。
子どもを、孫を、ひ孫を守る責任、命をはぐくむ地球を時代につなぐ責任、生きとし生ける者の幸せを喜べる責任を、わたしたち大人は託されているのです。