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No.1344 求められるものは?

『耳嚢』(みみぶくろ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・南町奉行所の根岸鎮衛(しずもり/やすもり 1737年~1815年)が、佐渡奉行時代(1784年~1787年)に筆を起こし、死の前年の文化11年(1814年)までの約30年にわたって書きためた全10巻にも及ぶ雑話集だそうです。公務の暇に書きとめた来訪者や古老の興味深い話を編集したもので、さまざまな怪談奇譚や武士や庶民の逸事などが多数収録されており「耳袋」とも表記されます。(ウィキペディア参照)

先日、『耳袋2』(根岸鎮衛著 鈴木棠三編注 東洋文庫208 平凡社 昭和47年4月28日発行)を読んでいたら、「長寿の人 格言の事」というお話を見つけました。勝手に意訳してみました。間違いの段は平にお許しいただき、お教え願えれば幸甚です。

 「松平上野介(出雲国広瀬で三万石)の家臣に山川文左衛門と言う男がおり、百歳余りで最近亡くなりましたが、(この男が)病床にあった時に、私の知り合いの医者を呼んで、『わしも、今回はこれが限界かと思われる。寿命が残りなくなったので、薬を用いようとの気持ちもないのじゃが、孫などがあれこれ勧めるから面倒くさく思われ、彼らが(私を気遣って)言うことももっともなので、馴染み(のあなた)のお陰をもって調剤ねがいたいのじゃ。』と言うので、薬を与えたところ、その老翁が言うことに、『さて、人も長寿を願うのは常の事じゃが、長寿にも程があろう。いうまでもなく(長寿は)人の禍福によるのじゃろうが、わし自身は子に先立たれ、今は孫に養われ、何の不足もないけれど、昔の友達は、みな鬼籍に入り、壮年の知り合いとて生き残っている者はなく、何か語りたい何かを話そうとしても、自分だけが知っており、他の人にはわからない。まことに見知らぬ国に生き延びているのも同然で、心にも身にも楽しいと思うことは無い。だから、死んだも同じじゃ。』と語ったと、老医者が申した事でありました。」
『耳袋2』(根岸鎮衛著 鈴木棠三編注 東洋文庫208 P27~P28より)
 
わが大学の恩師の井狩正司先生は、『建礼門院右京大夫集』の校本研究ですぐれた業績をあげられた方です。私が上京の機会に、ご自宅にご機嫌伺いに立ち寄ると、
「もう、知り合いがいなくなっちゃってね、淋しいもんです。」
としみじみとおっしゃいました。その師も2011年(平成23年)に95歳で隠世されました。山川文左衛門の言葉から、改めて恩師の孤独な思いを垣間見た気がしました。

「人生100年時代」とは、長寿化がもたらす働き方や生き方の変化を描いた著書『LIFE SHIFT―100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット、東洋経済新報社、2016年)の作者が提唱した言葉だそうで、標榜するのは日本に限らないようですが、長生きの先にある問題を山川文左衛門の言葉は暗示しているようです。

厚生労働省によると100歳以上の高齢者数は、
1963年(昭和38年) 全国で153人のみ
人口比率153/96,156,000(0,00016%)
1981年(昭和56年)  1,000人を超える
          1,000/117,902,000(0,00085%)
1998年(平成10年) 10,000人を超える
         10,000/126,472,000(0,00791%)
2012年(平成24年) 50,000人を超える
         50,000/127,593,000(0,03919%)
2023年(令和 5 年) 92,139人でした
                       女性は81,589人
         92,139/124,352,000(0,07410%)
その長寿の理由は様々にあるのでしょうが、60年の間に100歳人口はざっと600倍も増えたことになります。それは「寿」(いのちながし)であり、慶賀だと思います。しかし、孤立感や孤独感も600倍に増えることに繋がっていくのでしょうか?
 
21世紀に入り、来年は4半世紀を迎えます。日本の、
2001年の100歳人口は、15,475人でしたが
2023年の100歳人口は、92,139人と約6倍
に増えました。「人生100年時代」は加速しています。求められるものは何でしょう?


※画像は、クリエイター・わたなべ - 渡辺 健一郎 // VOICE PHOTOGRAPH OFFICEさんの、タイトル「江戸水上交通の模型」(江戸東京博物館)の1葉をかたじけなくしました。このお話の老人も、この橋を闊歩した時代があったかも知れません。お礼を申し上げます。