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No.1342 ここは、どこ?

「貧乏人は麦飯を食え」
池田勇人蔵相(1899年~1965年)は、不況で米価が高騰していた1950年(昭和25年)12月、参議院予算委員会で、
「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」
と答弁したといいます。これが、
「貧乏人は麦を食え」
と伝えられ、国民の反発を買ったのは、私が生まれるより3年も前のことでした。
 
いかにも誤って伝えられたように言われていますが、答弁の本質は、貧乏人は貧乏人に合った食生活を勧めているようにしか聞こえません。私の耳が、おかしいのでしょうか?
 

「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそったほうへ持っていきたい」。「貧乏人は麦を食え」発言として批判を浴びた池田勇人(いけだ・はやと)元首相の蔵相時代の国会答弁である▲「ドッジライン」と呼ばれた緊縮政策が取られた占領期。主食への補助金をやめ、価格統制を廃止したいという考えからの発言だったという。しかし、戦中戦後に深刻な米不足を経験した国民感情への配慮が欠けていた▲「米が足りなければ、ウドンとか麦でがまんするほかない」。秘書官だった香川県出身の大平正芳(おおひら・まさよし)元首相は理解を示しつつ、「ボキャブラリーの選択に注意してほしかった」と振り返っている。

(毎日新聞2022/6/9 東京朝刊)

一昨日入院していた病院の朝ご飯は、74年前の池田氏にならったのか、こちらの財布の中身を見抜いたのか、「麦飯」でした。ご飯茶碗の蓋を開けると、お米のご飯に「一」の字の麦が混ざっていて、子ども時代を懐かしく思い出しました。子どもの頃は、もっと麦が入っていましたが、思わず鼻を近づけて匂いを嗅いでしまいました。今朝の画像は、その折の1葉です。
「病院の 一の字を盛る 朝ごはん」(駄句) 
 
そればかりか、具は何も入っていないのかと思い、ズズーッとみそ汁をすすったら、な・な・なんと、サツマイモがゴロッと出てきました。何十年も口にしなかったサツマイモの味噌汁なので、祖父母・両親・兄妹3人が元気に囲んだ60年近く前の7人家族の食卓が、パアッと眼前に浮かびました。麦飯も、芋の味噌汁も、日常茶飯の朝食でした。

この思いを味わうために前立腺の針生検の手術をしたのではありませんが。