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No.1371 小耳にはさんだ「耳挟み」

現役在職の頃に、忘れられない高校弁士がいました。高校の女生徒なのですが、弁論大会の当日になると長く伸ばした髪を後ろに束ね、髪を耳に挟みました。「戦闘モード」に切り替えるような彼女なりの「心の作法」を感じました。
 
女性が耳を出し、髪を耳にかける仕草には、幾つかの心理がありそうです。
○気持ちを高め、気合を入れてモチベーションアップを図る
○好意がある相手に対して一寸気を引くようなポーズを取る
○髪が邪魔なので活動的な仕事をするのに障るのを避ける
○耳を出して、耳飾りなどのアクセサリー類を強調する
○自分の顔形や表情を生かしすために耳を出し髪を挟む
そうなのですか?もちろん、ほかにもあるのでしょうが…。
 
ところが、日本では、平安時代に、女性が額髪を左右に分け、耳にはさんで後ろにかきやる仕草は、忙しく立ち働く時などにするもので、つつしみや品のないものとされたといいます。例えば、平安中期の作品『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」の中には、次のように出てきます。

 蝶めづる姫君の住み給ふかたはらに、按察使(あぜち)大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづき給ふこと限りなし。
 この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む。」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせ給ふ。
 中にも、「かは虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ。」とて、明け暮れは、耳はさみをして、手の裏に添へ臥せて、まぼり給ふ。

『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」

(蝶を可愛がる姫君が住んでいらっしゃるそばに、按察使を兼任する大納言の姫君が住んでおられ、奥ゆかしく並々ならぬ様子に、この上なく親が大切に育てていらっしゃる。
 この姫君がおっしゃることには、「人々が、花よ、蝶よともてはやすのは、何とも浅はかで不思議だわ。人間には、誠実な心があって、物の本当の姿を突き止めることの方が、優れているのに…。」と言って、いろいろな虫で、恐ろしそうなのを採集して来て、「この虫が成長する様子を観察しよう。」と言って、さまざまな虫籠などに入れさせなさる。
 中でも、「毛虫が、思慮深い様子をしているのは、奥ゆかしいわ。」と言って、朝晩、額髪を耳の後ろに挟むはしたない格好をして、毛虫を手のひらに置いて這わせて、じっと見守っていらっしゃる。)

「虫愛ずる姫君」が、興味を持って、しら真剣に毛虫に向き合っている様が描かれています。ここでの「耳はさみ」は「はしたない行為」と訳すべきなのでしょうが、姫君が集中して観察する姿は、「邪魔になる髪を耳の後ろに挟み、我を忘れて興味深く調べる」もののようにも思えます。機能的に「耳はさみ」をしており、ほとんど「真剣さ」のあらわれのように思えます。平安時代の「耳はさみ」は「見てくれ」を評価する言葉であって、当人の「心意気(心理)」を示す言葉として用いられなかったのかもしれません。

今日、女性が「耳はさみ」すると、「やる気に溢れた」「主体的な意識」を感じることが多いように思うのですが、どうなのでしょう?

そう言えば、武田鉄矢の扮した「金八先生」も、ロングヘア―を耳に挟むシーンが何度もありましたが、彼が口をとんがらして真剣に話す場面でも見られたような気がするのは、わたしだけ?


※画像は、クリエイター・Tome館長さんの「葡萄パンのミミ」というユニークな1葉をかたじけなくしました。まさに「ミミより」なお話です。お礼を申し上げます。