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No.506 大地の賛歌のような「万歳」であれ

ある年の3月4日(日曜)は大安で、教え子の結婚式に招かれていました。

31歳になる直前にようやく結婚出来た私ですが、教え子だからって、何も同じ年になるまで合わせて華燭の典を挙げてくれなくても良いのにと思うほどの長い春でした。

あれだけの大和なでしこを放っておいた周りの男たちも男たちですが、ようやく「白馬の王子様」と出逢い幸せそうにしている彼女を見ると、貫き通した信念の強さ、その目の確かさの方に敬意を抱かされてしまいます。

そんな私に、披露宴のフィナーレとなる「万歳三唱」の音頭取りの役目が与えられたのは、おそらく、たぶん、きっと、間違いなく、私の長話を牽制してのことでしょう。相変わらず「賢明」な教え子です。

しかし、流石の彼女も「マイクを握った者の勝ち」とは、カラオケの時にだけ通用する言葉ではないことを、その日のうちに知ることになったのでした。勿論、顰蹙を買い依頼主の顔を潰すような真似はしませんでしたが…。
 
さて、そんな「万歳」の歴史についてです。奈良時代には中国から伝来していたとされ、平安時代末~鎌倉・室町時代にかけて既に行われていたのだとか。正月の祝い芸や、長寿を祝う言葉であり、「まんざい」や「ばんぜい」と呼ばれていました。「ばんざい」の読みになったのは、明治時代に入ってからだということをネットで教えてもらいました。
 
「今日は何の日」という2月11日の記念日の条に「万歳三唱の日」がありました。いわく、
「大日本帝国憲法発布の日であった1889年(明治22年)のこの日、東京・青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって初めて万歳三唱が行われたとされる。
 それまで日本には天皇を歓呼する言葉がなく、出御にあたってただ最敬礼するのみであったが、帝国大学(現:東京大学)の学生一同で皇居前に並び明治天皇を奉送迎しようという議が起こり、これに際して最敬礼では物足りないので歓呼の声を挙げようという話が教師の間で持ち上がった。
そこで、フランス語の『ヴィヴ・ラ・フランス』や英語の『セーヴ・ザ・キング』のような唱和の言葉を考えることになり、帝国大学法科大学(現:東京大学法学部)和田垣謙三教授の提議した『万歳、万歳、万々歳』の唱和が決められた。
 しかし、当日最初の『万歳』が高らかにあがると馬車の馬が驚いて立ち止まってしまい、そのため二声目の『万歳』は小声となり、三声目の「万々歳」は言えずじまいに終わった。これを聴いた人々は『万歳』を再唱したと思ったようで、以後、めでたい時の歓呼の声として『万歳(ばんざい)』が唱えられるようになり、『万々歳(ばんばんざい)』は定着しなかった。」

とするなら、今年で133年目ほどの、うら若き「ばんざい」の言葉です。幕末から明治の黎明期を駆け抜けた坂本龍馬も西郷隆盛も出会わなかった言葉だったということでしょうか。

また「万歳」と声高らかに唱和することは世界の国々に見られるそうです。
例えば、中国では「萬歲・万岁」と書いて「ワンソイ」と言うそうですし、韓国・北朝鮮では「マンセー、マンセ」と言うのだそうです。漢字以外でもロシア語では「ウラー」、イタリア語「ヴィヴァ」、スペイン語「ビバ」、フランス語「ヴィーヴ」があり、ドイツ語では「ホーホ」という言葉が「バンザイ」に近い言葉として挙げられていました。
 
国の意識や宗教的民族的意識の行き過ぎた高揚感・優越感が、他国に対する威圧的で排他的や言動につながります。「万歳」は、人類が獲得した達成感や長寿を祝う言葉であり、人類の住まうすべての人や土地や物に、すなわち地球全体の安寧と長寿にこそ向けられる言葉だと考えます。洋の東西を問わず、No.1を標榜し他国を圧して憚る事も恥じることもない特定の国に、もたらされる祝言ではあるまいと考えます。

大地の賛歌のような万歳が、空にとどろく日の来ることを祈るばかりです。