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No.1359 おっとよ!つまよ!

奈良時代後半に成立したと言われる『万葉集』には、夫婦の強い絆をうかがわれる好きな歌があります。これが、泣かせる歌なんです。一緒に読んでやっていただけますか?

本文…「3314 次嶺經 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背」
 
訓み…「3314 つぎねふ、山背道(やましろぢ)を、人夫(ひとづま)の、馬より行くに、己夫(おのづま)し、徒歩(かち)より行けば、見るごとに、音(ね)のみし泣かゆ、そこ思ふに、心し痛し、たらちねの、母が形見と、我が持てる、まそみ鏡に、蜻蛉領巾(あきづひれ)、負(お)ひ並(な)め持ちて、馬買へ我が背」
※「山背道」は京都府南部の山城(山背)に向かう道。
 
訳文…「3314 山城の道を、よそのだんな様は馬で行くのに、私のだんな様は徒歩で行くので、見るたびに声に出して泣いてしまいます。そのことを思うと、心が痛みます。母の形見にと、私が持っている(大事な)鏡に、とんぼの羽のような(高価な)薄い布を一緒に背負っていって、馬を買ってくださいな、あなた。」
反歌
「3315 泉川 渡り瀬深み わが背子が 旅行き衣 ひづちなむかも」
「泉の川の渡り瀬が深いために、わたくしのいとしい人の旅衣がぐっしょりと濡れてしまうでしょう。」
 
妻はそう詠んで、親の形見の品を売ってでも、よその旦那さんと同じように夫に馬を買い与えて、少しでも往来の楽をさせてやりたいと歌うのです。鼻の奥がツーンとしてきます。
 
この長歌には妻の詠んだ3315番の反歌が続くのですが、その次に「ある本の反歌に曰く」とあって、夫の気持ちが詠まれた歌も載せられています。
「3317 馬買はば 妹(いも)徒歩(かち)ならむ よしゑやし 石は踏むとも 我は二人行かむ」
「私が馬を買ったならあなたが歩くことになる。かまうもんか。石を踏んで難儀をしようとも、あなたと一緒に行きましょう。」
 
何という夫の返歌でしょうか!「自分だけ楽をするわけにはいかない。二人して歩こうよ。」と提案するのです。互いを労り合う気持ちに、互いが惚れ直したのではないでしょうか。

奈良時代、馬は移動や運送に利用される大事な家畜でしたが、もともと日本列島にいた動物ではなかったそうです。5世紀の頃に大陸からやってきました。軍事力に必要な馬が積極的に輸入され、大きな労働力として人々の生活にも浸透していったようです。

この歌について、ブログの「万葉集遊楽」(2011年2月21日)の記事「万葉集その三百七(つぎね:ヒトリシズカ)」の中で、次のように説明されており、大いに参考になりました。
「当時の馬は小さかったので一人しか乗れず、しかも高価なものでした。
『馬の値段は現在の金額にして高いもので42~43万円、安いものでも25~26万。鏡は25万~30万円 蜻蛉領巾は1万円前後』と推定されています。」
(山田良三 万葉歌の歴史を歩く 新泉社)
 
また、この歌について石丸晶子さんは『万葉の女たち男たち』(朝日文庫、1994年3月刊行)の中で、次のように書いておられます。
「この歌は、近頃の研究によると、一組の夫婦の独詠というよりは、むしろ、村々での集まりのようなとき、やんやの喝采をもって謡われる民謡ではなかったかという。しかし、いずれにせよ、夫は妻をいたわり、妻は夫をかばいつつ、というあの理想的な夫婦の姿を、万葉びとは、この泉川を渡りゆく一組の夫婦の上にみとめて、感動し、喝采を送ったことには変わりない。」(同著、第4章「夫として妻として」P206より)
 
私は、夫婦の実詠歌だと思っていましたので、妄想をたくましくしながら感動していたのですが、むしろ、いい歌なので共同幻想のように皆がその歌の心映えに酔い痴れて歌うのだろうと思いました。思い合う夫婦の歌に、ひどく心がくすぐられました。
 

※画像は、クリエイター・ブラーフスキーさんの、「夫婦岩(三重県)」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。