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No.1414 老師の生き方

私の高校時代と言うと、55年も遡るのですが、英語のリーダーの教科書は、小説家H・G・ウェルズの『透明人間』(The invisible man)が渡されました。英語の先生は、一冊の原書の中に出てくる単語や文法や慣用句や様々な表現や思想等々が、大学受験の勉強にはもってこいであると信じて、その考えを曲げませんでした。

先生ご自身、頼るべき指導書があるわけでもなく、事前の準備はさぞ大変であったろうと、そのご苦労がしのばれます。研究熱心な先生は、当時40代だったと記憶しますが、一念発起され、年度が終わると教員を辞して母校の国立大学の大学院に進学して行きました。果敢なる生き方、そして勇気をもって大英断を下されたのだと思いました。

2009年(平成21年)10月、NHKのドキュメンタリー番組で、私立灘中学高等学校で教鞭を執られた、老先生の教え方、生き方が紹介され、強く心に残りました。

橋本武先生は、中学生の三年間を、中勘助の小説『銀の匙』を使って講義しました。毎回ガリ版刷りの自主教材を作り、生徒達に調べる事への興味を引く工夫を随所に盛り込んだそうです。橋本先生も又、一冊の本に受験にも人生にも必要なエキスが詰まっていると信じたのでしょう。時には、徹底的に「意味ある脱線」をしながら生徒の心を強く掴んだといいます。2002年(平成14年)、90歳の時に奥さんと死別しましたが、97歳のその番組の時も矍鑠としており、背中を丸めながらも机に向かって学問を続けていました。
「一人には一人に合へる暮らしありマイナス志向は止めたるがよし」
橋本先生の歌だと、番組で紹介されました。

1912年(明治45年)といえば、4月14日に豪華客船タイタニック号が北大西洋上で沈没した年です。その年の7月12日、橋本先生は京都府宮津市で生まれました。その18日後の7月30日に明治天皇が崩御され、元号が大正に変わりました。

明治、大正、昭和、平成の4つの時代をまたいで生きた橋本先生でしたが、2013年(平成25年)9月11日、101歳で亡くなられました。蛙のグッズ収集がお好きだった人らしく、自ら付けた戒名には「青蛙居士」とありました。お茶目な一面も知りました。
 


※画像は、クリエイター・たらおさんの、タイトル「【詩】オムライス」の1葉をかたじけなくしました。その説明に、次のようにありました。
「池袋西口 ロマンス通りにある 洋食屋 キッチン チェックさんの紙ナプキンです 店長さんの顔のイラスト可愛いですよね」
私には、銀のスプーンも印象に残りました。お礼を申し上げます。