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No.877 我が家のチョコを悼む

『古今和歌集』巻第二・春歌下・97番の歌は、
「春ごとに 花の盛りは ありなめど あひ見むことは 命なりけり」
(春がめぐり来るごとに花の盛りはあるだろうけれど、その花に会うというのは、自分の命しだいなのだなあ。)
 
花はすぐに散る短命な存在ですが、春が来る度みごとに花を咲かせます。一方、花を見る方はどうかと言えば、花に出会える人は生きているからこそであり、命尽きれば二度と見ることは叶いません。花に出会えるか否かは「命次第」なのだと、少し理屈っぽいけれども真理を突いた「読人しらず」の歌です。自然の悠久さと人事の儚さが対照的です。
 
動物たちとて人と同じです。画像は、我が家の老犬チョコ(カミさんは「すぴぃ」と呼ぶ)の3月30日の在りし日の1葉です。昨夜、12時少し前に、15歳と8日で命尽きました。
 
三種混合の見事なミックス中型犬でした。やんちゃな若い頃、眼鏡のフレームを3本やられました。私の大好物の「松露饅頭」を1個だけ残して平らげ、数日間、餡状のねっとりしたウンチをして飼い主を驚かせました。油をなめる化け猫よろしく天ぷら油を舐め、白っぽいウンチにご主人の目を丸くさせたこともあります。芸達者で、来客の目尻に皺を作るのが得意でした。
 
我がマブダチは、散歩に誘惑する秘技を持っていました。私の膝に片手をかけ、顔を近づけて「キューン!」(人間なら「ウッフーン!」)と鳴いてねだります。外に出ようとドアを開けると、主人が心変わりせぬようにと飛び上がって喜び、勇んで玄関に行きました。団地内外の人々から声をかけ目をかけてもらい、チョコのお陰で知り合えた人の数は両手の指では足りません。14歳まで大きな病気も怪我もない元気印の相棒でした。
 
ところが、今年に入って体に異変が起き、2月に乳腺がんで右の乳房を全部切除し、3月には子宮蓄膿症のためにお腹が腫れ上がり、子宮を摘出しました。そして、がんの肺への転移もあり、呼吸が激しくなって、極端に体力が落ちて行きました。昨日は、呼吸は1分間に70回もしていました。生まれたての赤ん坊のように四肢を踏ん張れずに力なく腰砕けとなる、そんな状態でした。それでも、トイレの場所だけは過たず、死の直前までそこで用を足そうとしました。最期は、荒い呼吸ながらも苦しむ表情もなく、静かに横になり息を引き取りました。本当にウイヤツ、天晴れなチョコでありました。
 
夏には来訪予定の孫たちの明るい笑いを誘うことができなくなりました。来年の桜を見ることも出来なくなりました。何より、抱いてやること、さすってやること、大好きだった散歩に連れていってやることが出来なくなりました。寂しくなるばかりです。
 
以前、Note mateのみなさまから有り難い励ましのコメントやらお便りを賜りました。そのお陰で、めでたく15歳を迎えることが出来たのだと思います。病魔に侵され、痛み苦しみはあったでしょうに、そんなそぶりを見せずに耐えて、精一杯生きようと顔を前に向けた姿を私は忘れないと思います。みなさまに、感謝とご報告を申し上げます。
これからは、夢でチョコに再会することを喜びといたします。
有り難うございました。