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No.1471 酒なくて なんの己が(2)

『万葉集』巻第三には、大伴旅人(たびと、665年~731年)が、天平元年(729年)の頃に詠んだと言われる一連の「酒を讃むる歌十三首」があります。眉毛を上げたり下げたり、笑ったり唸ったりしながらご一読下さい。辛辣な歌もありますが、1300年前の男の歌だと思って、ご寛容の程お願いいたします。
 
    大宰帥(そち)大伴卿(まへつきみ)、酒を讃むる歌十三首
    (大宰府長官の大伴旅人卿が、酒をほめたたえる歌十三首)
 
338 験(しるし)なきものを思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし
  (何にもならない物思いをするくらいなら一杯の濁り酒を飲む方がまだましだ)
 
339 酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せし古(いにしへ)の大き聖の言の宜しき
  (酒の名を「聖」と名付けた、昔の大聖人たちの言葉のうまさよ)
 
340 古の七の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせしものは酒にしあるらし
  (中国の昔の竹林の七賢人たちも欲しがった物は酒であったらしいぞ)
 
341 賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするし優(まさ)りたるらし
  (偉そうに物を言うよりは、酒を飲んで酔い泣きする方が、まだ良いらしい)
 
342 言はむすべ せむすべ知らず極まりて貴(たふと)きものは酒にしあるらし
  (言いようも、しようもないくらい、極端に貴いものは、酒であるらしい)
 
343 なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ
  (なまじっか人として生きるくらいなら酒壺になって存分に酒に浸りたい)
 
344 あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る
  (ああみっともない。偉そうにして酒を飲まない人をよく見ると猿に似ている)
 
345 価(あたひ)なき宝といふとも一坏の濁れる酒にあにまさめやも
  (値がつけられない程貴い宝珠も一杯の酒になんで及ぼうか、及ばないことだ)
 
346 夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣(や)るにあにしかめやも
  (夜光る玉であろうと、酒飲んで憂さを晴らすのに何で勝ろうか、優らないよ)
 
347 世の中の遊びの道にすずしきは酔ひ泣きするにあるべかるらし
  (世の中の遊びの道でせいせいするものは、酔い泣きをすることであるらしい)
 
348 この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我はなりなむ
  (この世で楽しくさえあれば、あの世で虫にでも鳥にでも私はなってしまおう)
 
349 生ける人遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな
  (生きている人はいずれ死ぬ物なのだから、この世にいる間は楽しく暮らそう)
 
350 もだ居(を)りて賢しらするは酒のみて酔ひ泣きするになほしかずけり
  (むっつりとして偉そうにするのは、酒を飲んで酔い泣きするのに及ばないな)
 
これらの歌の作者・大伴旅人は60歳を過ぎた、神亀5年(728年)頃に妻の大伴郎女(おおとものいらつめ)と共に、大宰府へ赴任しました。ところが、赴任して間もなく妻が病死するという不遇の晩年を送ります。349番歌は、妻を亡くした悲しみが伺われますし、酒によって心を癒やし、なればこそ、酒を讃えずにはいられなかったのかもしれません。
 
さて、その中の343番歌は、
「なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ」
というものでした。『日本古典文学全集 万葉集(1)』(小学館、昭和46年初版発行)のこの歌の頭注の説明には、次のようにありました。

「呉の鄭泉(ていせん)という酒好きの男が生前飲んで飽かず、死ぬ時に、死んだらかまどの側に埋めよ、数百年の後、土となり酒瓶につくられるのが心願だ。と遺言したという故事(琱玉集・嗜酒篇、芸文類聚)による」

同著135ページ

呉国(222年~280年)の人・鄭泉は、222年、夷陵の戦いの後、白帝城にいた劉備への使者となっています。頭注にある『琱玉集』(ちょうぎょくしゅう)は、唐代に作られた本で、さまざまな書物に見える逸話を分類して配列しているそうです。著者は不明で、7世紀末から8世紀初頭の成立と考えられると言います。遣唐使によって持ち込まれた可能性のあるこの作品を、大伴旅人は、どこかで読んだのでしょうか。
 
そして、旅人よりも400年以上も昔の中国の人・鄭泉の酒に対する執着(愛着?)と人間性に、酒好きの旅人が強い感化を受けたのではなかったと思っています。鄭泉のお話と、旅人の歌は、いかがでしたか?
 
この話を書きながら「酒と泪と男と女」の歌詞を思い出しました。

 忘れてしまいたい事や
 どうしようもない寂しさに
 包まれた時に男は
 酒を飲むのでしょう
 飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで
 飲んで 飲みつぶれて寝むるまで 飲んで
 やがて男は 静かにね寝むるのでしょう

「酒と泪と男と女」1番 

この曲は、1975年(昭和50年)にリリースされた河島英五とホモ・サピエンスのデビュー・アルバム『人類』に収録されたもので、翌1976年に河島がソロで初めて発売したものだそうです。この時、河島英五は24歳、私は23歳でした。共感し、力いっぱい歌いました。
 
そして、いつしか50年近くが経ちました。「酒と泪と男と女」は、18歳の時の作詞だったそうです。早熟の河島英五でしたが、2001年4月に48歳という若さで病没しました。「時代遅れ」も「野風僧」大好きで、ずいぶん飲み屋の糠味噌を腐らせました。言っても詮無いことでしょうが、彼の50代60代70代の歌を聴きたかった。惜しまれてなお余りあるシンガーソングライターでした。
 
今日は、少し長くなり「時間泥棒」をしてしまいました。スミマセン!


※画像は、クリエイター・凸けんさんの、タイトル「月いち習慣目標|写真日記266日目」の「お酒や飲み会の写真」の1葉をかたじけなくしました。「おっとっと!」と、口から先に迎えに行きたくなりますね。お礼を申し上げます。