No.923 少年とオジサン
これは、嘘のような本当にあったお話です。近年、記憶力がとみに衰え始め、冷や汗三昧の私ですが、このシーンだけは、40年以上経った今も忘れないでいます。多分、衝撃的な経験だったからでしょう。
28歳で教壇に立った最初の年の5月のある晴れた日の事でした。電車で通勤していた私は、午前7時過ぎに大分駅で降りて、いつものようにトイレに行きました。
少し混んでいました。小便器の前で用を足している私の右隣りは、どこかの高校生らしく思われました。その彼の右隣りに小用を足そうとして立ったのは、60がらみの日に焼けた色で作業着姿のオジサンでした。
「う~!」「ふうっ!」
と言いながら体が揺れています。こんな朝っぱらから、既に出来上がっている風情でした。
彼はおもむろに小用を足し始めたのですが、左側の高校生が気になった様子で、揺れながら一声かけました。しかも、目が座っていて睨みつけるようにしながらです。
「兄ちゃん、どこん高校かぁ。」
しわがれたような低い声に凄味があったので、一瞬にしてトイレの空気が凍りました。誰もがじっとしたまま、事の成り行きを見守りました。
すると、その高校生は、何事もなかったかのようにファスナーを上げながら
「ぼく、親孝行です!」
とハッキリ答えると、オジサンを見ることもなくスーッとトイレから出て行きました。
もう可笑しくて、吹きだしそうでした。でも、他の人も私もグッとこらえました。オジサンが、「バカにして、からかいやがったな!」と言って、いきなり怒り出し、後を追いかけるんじゃないかと冷や冷やしたからです。
しかし、それは私の誤解でした。虚を衝かれたオジサンは、その時、
「親こうこうかあ…。」
と呟くと、何か遠くを見るようにボーッとしました。
機転の利いた高校生の即答にもシビレましたが、オジサンにもシビレました。なぜなら、彼は「親孝行」の一言がズシンと胸に響いて、急に自分の来し方を振り返ったように思われたからです。
「孝行のしたい時分に親は無し」などと言われますが、彼も思い当たることがあったのではないでしょうか。そして、そう思わせたのだとしたら、高校生の「親孝行」の一言は、いい供養となったのではないかなと思いました。
私は、その日一日を、とても清々しい気持ちで過ごすことが出来ました。
あの日の少年は、今も私の脳裏に焼き付いたままです。
※画像は、クリエイター・raswさんの、タイトル「おもいっきり」の1葉をかたじけなくしました。「名声」「名誉」「栄光」「豊富な愛情」「華のある人生」などの花言葉のあるノウゼンカズラの季節ですね。思いっきり気持ちよく咲いています。お礼申し上げます。