No.775 私が私となれた日のコラム

名前は、「生涯にわたって両親から贈られる心の産着」だと私は思います。
「この子の未来に幸多かれ!」「未来を切り開く子であれ!」
との祈りや願いが、「瑞祥」の形として名前に結実したのだろうと。
 
私の名は、「仁」です。戦後8年目の4月29日生まれですが、いとやんごとなき天皇様と誕生日が同じだったことから、畏れ多くも両親が一字を勝手に頂戴して命名してしまいました。世が世なら、エライことになったでしょうが、世が世となったので、笑って許していただけたということでしょう。(知られることもなかったでしょうが…。)
 
儒教の祖と言われる孔子が、その教えの根本に据えたのが「仁」だそうで、悪い気持ちはしませんでしたが、私には重い一字です。「愛」「思いやり」「真心」などという、およそ本人に相応しからぬ漢字の意味が、別人のような顔をして私の前に立ち塞がっていたからです。
 
しかし、1992年(平成4年)11月21日の大分合同新聞のコラム「東西南北」に、
「人偏に二と書いて仁である。仁は一人では成り立たない。それが、人間のコミュニケーションだ。」
とあったのを読んで、衝撃を受けました。私には、自分一人で何とかするもの、しなくてはならないものという強迫観念がありました。いや、矜持もあったのだろうと思います。しかし、そうではなくて、「仁」となるには、人の協力、人の支え、人の存在があって初めて成り立つのだと気づかされた時、私は、心がスーッと軽くなるのを感じたのでした。
 
そのコラムを書いた南里俊策氏が亡くなられたのは、2018年(平成30年)1月15日だったことを思い出しました。私に「仁」の意味を説いて下さった方なのに、うかつでした。
 
平成元年に発行した私の学級通信「ゆずりは」第25号に、こんな名前に関する記事がありました。ご一読いただければ幸甚です。
「私は一卵性双生児だった為に、妹の頭が私の胸を圧迫していたので、生まれた時は、ほとんどひん死の状態でした。医者が父に『お姉さんの方はどうしますか?』って聞いたとき、『姉はいいから妹をお願いします。』なんて言ったら、今、私はこの世にいなかった。
 でも、父は『どうか、姉も助けてやってください。』って言ったもんだから、それからまた、人工呼吸やらいろんなことをやって、それでも、看護婦さんから『あと一週間の命です。』と宣告されたそうです。父は、あと一週間の人生でも精一杯歩んでほしいという願いで、『あゆみ』と名付けたそうです。
 でも、何を間違ったのか15年も生きてこられて、今、お父さんに『本当にありがとう。』って言いたい気分です。(父が言うには、生まれたばかりの時、息は無くて心臓だけが動いていたそうです)」
 
忘れられないあのお名前の少女も今や50歳前後です。
「烏兎怱怱」、年月の流れの何と早いことでしょう。
彼女は、お名前に恥じぬ歩みをしています。
皆さんのお名前の由来は、なんですか?
 
「ひらがなの名前の大き初便」
 麻植裕子


※画像は、クリエイター・soup of the day.さんの1葉をかたじけなくしました。その手で人生をつかみ取ろうとする赤ちゃんの手がいじらしいですね。お礼申します。