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No.1383 ほのぼの父子(おやこ)

「急激に変化している今の時代の中で、
 様々な家族がそれぞれのカタチで
 誕生し、生活し、生きている。
 そのひとつひとつの家族が、
 日常の中で、少しだけ“あたらしくなる”瞬間を描いていく。」
それが、このCM「かぞくの群像」シリーズのコンセプトだそうです。

大和ハウスのCM「かぞくの群像」♯1「矛盾」(2021年12月)をごらんになったことはありますか?2分18秒もの映像と語りで綴られています。
「ある大学の哲学科の授業中。
 そこに、大学にはいないはずの小学生がいる。
 授業をしている教授は、小学生の父親。
 父の様子を見に来た息子は精一杯背伸びをして、その場になじもうとしている。
 家では見たことのない父の姿を見て、息子の気持ちがすこし成⾧する。
 それをうれしく思う父。
 そんなとある家族の一日です。」
という設定なのだそうです。

少しだけ補足すると、
○大学教授の妻は子どもを産んだ後、ほどなくして他界した。
○教授は一人息子の事を尊重し「たくみさん」と呼んでいる。
○一人息子も敬愛する父の事を「ともみさん」と呼んでいる。
私は、何度も画像を巻き戻して、その父子のやり取りを文字に拾いました。面倒をおかけしますが、目と心を貸してやってください。

場面は、父(ともみ)が大学の教室で哲学の講義をしている場面から始まります。
父「あらかじめ決まった人間の本質は、変わりません。」
以下、親子の心の声の応酬が続きます。教室には、真面目に講義を受ける学生に交じって、睡眠学習(?)する男子学生もいます。
父「眠くないですか、たくみさん。」
子「今は眠くないですが、何人か寝ている方もいますよ。」
父「いつものことです。」
キャンパス内の画像、
子「ともみ(父)さんに失礼じゃないでしょうか?」
父「若いうちは、勉強だけじゃないですから。」
子「ぼくも、昨日はよく眠れませんでした。」
父の研究室の場面、
子「ともみさん!」
父「どうして眠れなかったのですか?もしかして、好きな子でも出来ましたか?」
子「オジサンみたいなことを訊きますね。」
父「十分、オジサンです。」
自宅の風呂上がりに母親の写真を見ながら
子「母は、どんな人だったんですか?」
父「厳しくて、優しい人でした。」
子「矛盾してますね。」
父「人は、みんな矛盾しているものです。」
子「ともみさんも、矛盾していますか?」
大学の図書館のシーン
父「矛盾だらけです。」
子「そんな人が、先生でもいいんですか?」
父「その方が、みんなホッとするんじゃないでしょうか?」
子「じゃあ、ぼくも先生になれるかも知れないですね。」
父「あら、小さな希望が漏れてきましたよ。」
大学のキャンパス内のベンチ
父「あと、負けず嫌いな人でした。」
たくみが、歩道橋の上から紙ヒコーキを投げ
子「そうですか?ぼくは、似てませんね!」
お蕎麦屋さんでの食事のシーン
子「また(大学に授業を聴きに)行ってもいいですか?」
バスの中での親子のシーン
父「退屈だったでしょう?」
子「少し難しかったです。」
親子で歩いて帰る坂道のシーン
父「少しですか?」
子「少しです!」
父親の研究室の場面
父「似てきましたよ。」
ラストシーンで、画面に「今を生きる」の文字が浮かびます。

目まぐるしく画面が移り変わり、親子の心のコミュニケーションの声だけが淡々と画像に重なりながら流れていきます。一見「矛盾」したやり取りのようですが、私には、ストンと腑に落ちた動画でした。

「矛盾」している人間が教師なんかやっていいの?という子供の質問に
父「その方が、みんなホッとするんじゃないでしょうか?」
と答えます。ああ、こんな「解」もあるんだなとシビレてしまいます。
ところが、その父の言葉に息子が素早く反応して、
「じゃあ、ぼくも先生になれるかも知れないですね。」
と切り返すのです。やるな!たくみ君!
「あら、小さな希望が漏れてきましたよ!」
ともみ父さんのナイスなフォローの言葉が、温かい。

「矛盾」のようでいて「整合性」が顔を覗かせ、心のコミュニケーションで二人が親しく、深く、広がりを増していきます。

こんな発想の父親にはなれませんでしたが、何だか心のシャワーを浴びたような気持のよさを感じました。コピーライターと役者と撮影スタッフの総合力で成る感動のCMでした。

3年も前の作品でしたが、私は、今頃になってそのことに気付いた次第です。私の子どもの頃の渾名「2B」(鈍い)の面目躍如です。


※画像は、クリエイター・サバエモンさんの「【格言1コマ漫画】~フロイト~」の1葉をかたじけなくしました。その画像の説明に「ピンクフロイドならぬ、ピンクフロイトです。哲学的なことを語りたい時にご利用ください。」ともありました。洒落も効いています。お礼を申し上げます。