No.892 平凡の非凡
「ガリ版刷り」の言葉は死語でしょうか?でも、私には懐かしい響きの言葉です。30年も前のお話ですが、こんな学級新聞のコラムを見つけました。
1975年(昭和50年)、私たちが大学生だった頃も、夏休みの合宿の冊子はガリ版刷りで作成したことを思い出してしまいました。ヤスリ版にロウ原紙を当てて鉄筆で文字や絵や表をかいたものを謄写版にセットして、まんべんなく伸ばした油性インクをローラーで押し付けると、作品の1ページの出来上がりです。何ページもの作品を作ろうとすると、何枚もロウ原紙を切らねばなりませんでした。あの「ガリガリ」という音がたまりません。ところが、直線が切れて太線になったり、インクで手を汚したりと、なかなか骨の折れる作業でした。
また、別の日のコラムには、T先生に関するこんな事が書いてありました。
ずいぶん昔に野球部の監督も務められたT先生ですが、キャッチャーフライのノックは思い出深いものの一つです。大会での試合前のノック練習の最後を締めくくる高く打ち上げられたキャッチャーフライは、毎回、2本が2本ともホームベースのすぐそばでキャッチャーが捕球しました。そのスイングに敵味方関係なくスタンドの応援席から「おおっ!」というどよめきと拍手が起こっていたことも懐かしく思い出しました。
T先生は、淡々として何事もなかったかのように「平凡の非凡さ」を見せてくれました。それは、堂に入った、美しいフォームでした。
※画像は、クリエイター・水野 うたさんの、タイトル「たいせつに扱うって、こういうこと。」をかたじけなくしました。水野さんは、「笑って泣いて働いて。手のひらサイズの日常を描きます」というモットーで作品を綴っておられます。平凡の非凡の体現者でしょう。