見出し画像

No.476 あすなろの記


その昔、NHKのテレビ番組に「課外授業、ようこそ先輩」と言うのがありました。ご記憶の方もおられると思います。ある回で漫画家の里中満智子さんが、母校の淀川小学校の教壇に立ったことがありました。

中学生の頃から漫画家志望の強かったという彼女は、16歳で漫画家の登竜門の第1回講談社新人漫画賞を受賞すると、在学中のまま漫画家としてデビューします。大学受験が近づくと、漫画業を一時休んで勉強に専念することを勧められましたが、
「学校は一生は行かないが、仕事は一生である」
と考え、3年生の時に大阪市立桜宮高等学校を中退したそうです。恐るべき先見性の持ち主です。

小学生たちを前にして、
「(今にして思うと)今度こそ、今度こそと思う気持ちが、35年間の私の仕事を支えてくれました。」
と彼女は語りました。天才と言われるくらい才能を授かった人でさえ、もっと上を見、もっと頑張ろうと努力してきたようです。漫画道に対する真摯な思いは、飽くなき追求心、そして限りなき向上心となって現れているように感じられました。

そういえば、「翌檜」(あすなろ)という名前の木があります。今から1000年も前の『枕草子』第40段「花の木ならぬは」の中に、こんな記事があります。
●本文…「あすはひの木、この世にちかくもみえきこえず。御嶽にまうでて帰りたる人などのもて来める、枝ざしなどは、いと手ふれにくげにあらくましけれど、なにの心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかとおもふに、きかまほしくをかし。」
●訳文…「『あすなろの木』とは、この世の近くには見えも聞こえもしない。お山に詣でて帰ってきた人などが持ってくる枝の張りぐあいなどは、たいそう手に触れにくげに、荒々しいが、如何なる思惑があって『明日は檜の木』とつけたのだろうか。『明日は…』なんてつまらぬ予言だこと。誰に向って頼ませたのかと思うにつけ。聞いてみたくて面白い。」
などと述べています。このことから、平安時代の中期に「あすなろ」は古くは「あすはひのき」と呼ばれており、樹形がヒノキに似ていることから、「明日はひのき(になろう)」の意で「あすなろ」となったとする説が有力なのだそうです。

誰もが自分にとっての「檜」を思い描く一方で、失敗したことを悔いたり、自分を厭うたりしながら、「翌檜(あすなろ)」の気持ちで心を奮い立たせているのではないでしょうか。里中さんの話を食い入るように見つめていた子供たちの眩しい目の輝きは、忘れていた何かを思い出させてくれました。