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No.421 伸びきった神経に、猛禽からの「活」

 大分市には大分川に架かる舞鶴橋があり、国道197号線が走っています。1954年(昭和29年)10月に竣工したそうです。全長は300mあまりで、交通量の増加に伴い、現在の橋の幅は20mです。海が2kmほど北側に見渡せます。強い北風が吹いて来ると自転車に乗っては渡れないほどです。

 この橋には、片側に10基ずつ道路照明灯(照明ポール)が備え付けられています。照明ポールのカタログで調べたら「長円形」というものでした。例えるなら、まっすぐ伸びたポールを途中から右にグニュッと曲げた先に電灯が付けられた、そんな形の照明灯です。ハイウェイなどでよくお見かけするあの形です。その7mほど上のグニュッと曲がったところに、カモメが何羽ずつか羽を休めています。海が近いからでしょうが、お気に入りの照明灯があるのか、厳しい縄張り争いで自然に決まったのか、年功序列で分けられているのか、何基ものポールの上から通行する車や人を見降ろしています。ポール下の路上には、白い糞が落ちており、「糞害」に「憤慨」する人もいるようです。私は、上を見ながら速足で通り過ぎるのを常としています。かもめのジョナサン級の高次元な思想の持ち主はいないらしく、他愛ない、ほど良くかわいらしい(大分弁で言うなら「えらしい」)姿です。

 ところが、先日、橋の近くまで来て、珍しくカモメたちの姿の無いことに気づきました。どうしたんだろうと思いながら渡っていたら、橋の真ん中にある照明ポールにトンビが鎮座して下々を睥睨していました。その下を足早に通り過ぎる私に「♪ピーヒョロ」と自らの存在を鳴き声で誇ってみせました。こ奴のせいか?

 確かに、トンビは日本人に身近な猛禽類ですが、ネット情報によれば、捕食物として、動物の死骸やカエル、トカゲ、ネズミ、ヘビ、魚などの小動物や生ゴミなども食べるとありました。個体で飛ぶことが多く、海沿いに生息するものは、カモメの群れに混じって餌を取り合うこともあるという説明までありました。

 この場所で初めて見たトンビですが、カモメたちの群れに混じることなく、むしろ、追い払ってしまったようでした。仁義を切り損ねた「お山の大将」のような姿でした。孤独を矜持にしているようでもありました。これが生き物の世界、自然の摂理なのでしょうか。

 つい先日の事ですが、愛犬との散歩途中の小さな川に架かった橋の上に、おびただしいほどの鳥の羽や羽毛が散らばっていました。血痕も数か所にありました。何ものかに襲われたハトのようでした。あれだけの羽が散らばっているという事は、逃げおおせたとはいえ、恐らく生きてはおれまいと思われました。愛犬チョコは、初めての異常な匂いを嗅ぎ続けました。激闘する姿を見た訳でも、声を聞いた訳でもありませんが、想像するのに十分な惨劇の跡でした。

 近所に放し飼いの犬はいないので、猛禽に襲われたのだろうと思います。ここにも厳しい自然の掟の中で生きる鳥たちの壮絶な運命がありました。日々繰り返される生死をかけた命のせめぎ合いの中で生きる彼らに、「平安」などと言う言葉は失礼かもしれません。与えられた「さだめ」の中で身を削りながら懸命に生きているのでしょう。それこそが「永遠」なのだというように。

 伸びきってしまい、錆びついてきている私の神経の一部がピリッと音を立てたように感じました。