No.386 叶わぬ夢となった、ある人との再会
「麦ゅ踏んじから学校に行け!」
吐息が白くなるような寒い朝、爺ちゃんは、私たちにそう玄関から叫びました。我々兄妹3人は、ランドセルを背負ったまま、すぐ近くの田圃の畝に生えた芽をカニのように横歩きしながら踏みつけました。「麦踏み」は、農家の冬の風物詩です。何回も貢献しましたが、褒められた事はありません。横歩きなのでなかなか進まず、最後は、いい加減に踏み固めて一目散に学校に走って行ったのを覚えています。
今は少なくなりましたが、昔は我が家の田圃でも「二毛作」(夏には稲、冬には麦を栽培すること)が行われていました。麦踏みは、日本独特の農作業と言われますが、この作業には、霜柱の時も土が持ち上がらず、茎がたくさん分かれ、根も強くなり、麦の生育を助ける効果があるのだそうです。
我が町は、幾つもの農村から成っていました。今から53年前の中学3年生の時の弁論大会で、「人間の麦踏み」と題して発表した女生徒の話に、私は舌を巻きました。
「人が生きていく時に、外の世界や人々と無縁に生きて行くことは出来ません。心穏やかに生きられる日もあるでしょうけど、耐えがたい暑い日もあれば、厳しい寒さの日もあるでしょう。どんな状況でも対処できないと、社会で生き抜いていくことは難しく、また厳しいと思います。
私たちは麦踏みをします。そうすることで、麦の根を強くすることができるそうです。同じように踏まれて育った人は、辛い時、苦しい時、悲しい時、挫折感や絶望感を味わったとしても、そこで諦めずに生きようとする心の強さが育つのではないでしょうか。
心の強さが育てば、うまく行かなかったことを他人のせいにしたり、自分をごまかしたりしないで、立ち向かってっていけるのではないかと思います。踏まれることを恐れずに、自分を強くするチャンスだと考えたいと思います。」
あちこちうろ覚えの継ぎはぎだらけの文章ですが、そんなことを言っていたように思います。農家の彼女もまた、「麦踏み」という実体験を通して、自分の生活の中から生き方を感じ取り、自らの生き方としようとしたのだろうと思うのです。
1週間ほど前に、田舎で中学の時の有志の同窓会がありました。半世紀以上ぶりに逢えたなら、あの時の弁論の話をして驚かせてやりたいと密やかな期待を胸に参加しました。残念ながらその人の姿はありませんでした。マスク着用の歓談でしたが、数年ぶりの再会に出席者は一様に目じりに皺を寄せました。散会の時、彼女の安否を知人に尋ねました。
「ああ、あん人かい?3年前に病気じ亡(の)うなったち聞いたで!」
思いがけない一言に、時が止まりました。急に、グッと胸が熱くこみあげて来ました。もう永遠に、彼女とあの弁論大会の話が出来なくなってしまったことを知ったからです。私のささやかな夢は、叶わないまま終わってしまいました。人生は、かくも無常です。
私も「人間の麦踏み」をして、彼女の遺志に応えなければいけないなと思いました。