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No.240 負けに不思議の負けなし…

  一昨日、東京オリンピック男子テニスシングルス3位決定戦で、ノバク・ジョコビッチ(セルビア、34歳)がパブロ・カレニョブスタ(スペイン、30歳)に1-2で敗れ、母国への銅メダル凱旋はなりませんでした。

 特に第3セットは、疲れや焦りや苛立ちの象徴でもあるかのようにラケットを破壊するシーンもあり、王者というに相応しくない振る舞いもありました。それほどまでに世界ランキングトップの選手を追い込んだ挑戦者のプレーが称えられることになるのでしょう。

 昨日の新聞で知ったのですが、ジョコビッチは、
 「五輪に出場したことは一切後悔していない。」
としたうえで、
 「人生に偶然はない。心痛める負けだが、こうした経験が自分を強くしてきた。パリ五輪に向けて前を向いて進みたい。」
と前向きな発言に切り替えていました。その強さが、彼の才能を磨き続けているようです。

 百戦錬磨の歴戦の勇者が、体験的に学んだ人生哲学が「人生に偶然はない」という言葉に集約されていると思いました。「偶然はない」とは「負けるべくして負けた」という負けを認めた言葉だと思います。その記事を読んだ時、プロ野球の野村克也監督(南海、ヤクルト、阪神、楽天等の監督)の座右の銘とされ、彼がインタビューの時にもよく話題にした
 「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」
の言葉を思い出しました。私たちの生活の中でもよく経験することで「反省あるある」の代名詞のような戒めの言葉です。

 これは、江戸時代中・後期の大名で、肥前国平戸藩の第9代藩主だった松浦清(まつらきよし。号、静山)の名言だそうです。その言葉は、随筆集『甲子夜話』(かっしやわ)にあり、清自身の発言とされています。この本は、1821年12月11日(文政4年11月17日)の甲子(きのえね、かっし)の夜に起筆されたので、その題名になりました。

 古今の東西を問わず、「負け」に対する一つの真理を言い当てた生きる命を持つ言葉だと思います。今からちょうど200年前に生まれた松浦清の言葉が、ジョコビッチによってよみがえりました。そんなアニバーサリーな言葉だったことも偶然ではない縁を感じた次第です。