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No.1360 教えて!西郷さん!!

日本国内では9月27日の自由民主党総裁選に向け、9人の立候補が熱い論戦を戦わせることになりました。その一方、水面下では「政治屋の大人の駆け引き」が行われ、民意をよそに派閥や力関係が又してもノサバル結果となるのでしょうか。そうなのですか?
 
1890年(明治23年)に刊行された『南洲翁遺訓』(『西郷南洲遺訓』)は、西郷隆盛(1828年~1877年)の遺訓集で、旧出羽庄内藩(山形)の関係者が西郷さんから直接聞いたものを編集したものだそうです。遺訓は41条、追加の2条、その他の問答と補遺から成っています。私は、青空文庫「西郷隆盛遺訓」で読みました。

特に、西郷隆盛と言う偉人の言葉に感嘆したのは、30番目の遺訓でした。

三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。去れ共、个樣(かやう)の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるゝに付、孟子に、「天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば獨り其道を行ふ、富貴も淫すること能はず、貧賤も移すこと能はず、威武も屈すること能はず」と云ひしは、今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の氣象は出ぬ也。

青空文庫 西郷隆盛遺訓〈底本:「西郷南洲遺訓」岩波文庫、岩波書店 1939(昭和14)年〉

得手勝手に意訳してみました。間違っていたらゴメンナサイ。
(意訳)・・命も要らぬ、名声も要らぬ、官位も要らぬ、財も要らぬというような人は始末に困る手合いである。この始末に負えないような人物でなければ、艱難辛苦を共にわかち合い、国家の大事業を成すことは出来まい。だが、こんな人は一般人では見ぬけないと言われることから、中国の思想書『孟子』にあるように、「最も広い住まいに暮らし、天下の正しい位置で事を行い、信義の道を堂々と歩く。自分が用いられた時には、民とともに実践し、自分が世に受け入れられなければ、独り正しいと思う道を踏み行う。どんな富や身分であっても彼を汚すことはできないし、貧しく卑しいからといって心の挫けることもない。まして強い力で屈服させようとしてもできない。」と言ってあるのは、今、おっしゃられたような始末に負えない真の男のことですかと我々が尋ねたら、いかにもそのとおりで、真に道を行う男でなければそのような精神は得難いことだと西郷さんは答えられた。

西郷隆盛は、1873年(明治6年)征韓論争に敗れ、鹿児島に帰りました。旧庄内藩士たちは鹿児島を訪れて、西郷から征韓論に関する話を聞いたそうです。また、1875年(明治8年)5月には、庄内から更に数名が鹿児島を訪れています。「遺訓」三〇は、その頃の西郷と旧出羽庄内藩士とのやり取りが記されたものでしょう。西郷隆盛は40代後半でした。

西郷最期の年から147年が経ちます。政治家の中に、西郷遺訓を諳んじている人はいるかも知れませんが、そのことを実践している方を知りません。西郷さん「始末に困る人」は誰ですか?


※画像は、クリエイター・Wさんの「西郷隆盛像」をかたじけなくしました。お礼申し上げます。