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No.1376 書の花園

昨日、大分県立美術館(OPAM)で開催中の「第60回記念 大分県美術展書道展」を観に行きました。県内の書道家たちの会員の部666作品、公募の部242作品が、百花繚乱のごとく、その書の美を競っていました。
 
入賞作品は、日本芸術院会員の髙木聖雨氏の審査によるものでした。門外漢の私など、ちっともお呼びでない作品展なのですが、
牧 泰濤氏の「心青春枝老錬」
関 春瑤氏の「韃靼の馬寒月に駆け入りぬ」
中村春蓉氏の「妖精の吐息が潜む花野かな」
田口摩利氏の「ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし恋しき人のみまく欲しさに」(藤原道長)
荘田杏菜氏の「人生は長いひとつの連作であとがきはまだ書かないでおく」(俵 万智)
堀谷春水氏の「一%の可能性」(パリオリンピック会場の堀米雄斗のことば)
などの個性的な書の前で、少し動けなくなりました。
 
その堀谷氏の「一%の可能性」をトップ画像に掲げました。この言葉は、7月29日に行われたパリオリンピックのスケートボード男子ストリートの決勝で、後が無くなったトリック5回目で97.08のベストスコアをマークし、東京五輪に続き連覇を達成した堀米雄斗選手の言葉だそうです。
 
翌7月30日の会見の中で、
「精神状態もメンタルもけっこうきてた。あきらめかけたこともあったし、中国の大会が終わって完全に諦めてて…。可能性が1%でもあるならやろうと思って。その可能性を信じてやれてよかった」
と予選時からの心境を振り返りました。
 
何気ない一言のようですが、「1%の可能性」と言われた時、それが命に係わる事でもない限り、本気で賭けることが出来るでしょうか?たとえ五分五分であったとしても、二の足を踏んでしまうのが私です。そんな男の前に、この力強い書がドーンと現れました。
「お前を待っていたよ!」
 
発明王のトーマス・エジソンは(1847年~1931年)は、
「天才とは1パーセントのひらめき、99パーセントの汗をかくこと(努力)である」
と言ったと言われます。その1%は99%にも匹敵する意味を持つというのでしょうか。
 
堀米選手は、一方で諦めかけた気持ちを、もう一方で1%の可能性であっても0ではないと考えたのでしょう。いやその可能性は、自分自身を信じることで生まれる可能性だと考えたのかも知れません。その気持ちを持てた背景は、何人も及ばぬ汗を流した体験が、彼の心に強く裏打ちされていたからではないかと思いました。
 
「ところで、お前は、どうなんだい?」
私は、作品に射すくめられたように思いました。