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No.1484 誰にも昼がやって来るー!
こんなお花畑に身をうずめてみたいと思うのは、私だけでしょうか?
「その弁当は小ぶりではあるが、二重であった。
壱の重には、総菜が所狭しと並んでいる。鶏肉とピーマンの油炒めでしょ、鮭の焼き物でしょ、卵焼きでしょ、サラダでしょ、海のものと山のものが渾然一体となり、色合いも良く、見事なハーモニーを奏でているかのようである。目移りして、どこから箸をつけたら良いか迷ってしまう。
続いて弐の重には、ふりかけご飯が適度に盛られている。その端っこには佃煮昆布が行儀よく座っており、カオスなふりかけの軌跡とのコントラストを醸している。共に繊細で女性的な逸品。ご主人の笑顔は、はち切れんばかりである。」
うん十年前の学級通信に見つけたこのお弁当は、結婚後初めて「朝5時半起き」して作ったという新米奥様先生の記念(?)作品です。同僚の御主人先生は、我々に「お一つどうぞ!」の優しい心遣いなど一切これなく、100%幸せ太りになりそうな笑みを浮かべて、先輩方の熱視線を堂々と浴びています。
「チクショー、二重の意味でうまい(美味いと巧い)ことやりやがってぇ!」
などと、不謹慎な心の声をおくびにも出す事無く、件のお花見弁当を横目で見ながら、昨夜の余り物弁当をおし頂く私です。
ところで、「便當(べんとう)」は中国語で、元は、「好都合」や「便利なこと」を意味する造語(俗語)だったそうです。南宋時代(1127年~1279年)の頃に作られ、日本に伝わり「便道」「弁道」などの漢字が当てられ、やがて「弁(そな)えて用に当てる」という意味から「弁当」の文字が当てられたといいます。鎌倉時代からあったようです。
携帯食というと、平安時代の『伊勢物語』に「乾(か)れ飯(いひ)」(干し飯)が出てきます。日持ちさせ、携帯できるようにした知恵で、笹や竹などの皮に包んでいたそうです。織田信長は、安土城で多くの人々に食事を振る舞う際に、「めいめいに配る簡単な食事」という意味で「弁当」という言葉を使ったという説明もありました。
江戸時代初期にイエズス会の宣教師により編纂された日本語の辞書で、ポルトガル語により記述され約32,000語が収録されているという『日葡辞書』に「Bento」が載っています。「Bento=文房具に似た一種の箱であって、抽斗がついており、これに食物を入れて携行するもの」
という意味が記されてあるそうで、1600年代の弁当箱の普及が伺えます。さらに、江戸時代中期から後期にかけて、庶民は観光と巡礼を兼ねた旅行に出かけたり、花見をしたり、歌舞伎や芝居見物にも出かけましたから、弁当文化も花開いたのでしょう。
「弁当~い、ベントー!」の呼び声も高き「駅弁」が販売され、ごはんを主食としたお弁当が販売されたのも、サンドイッチが入った洋風弁当が登場したのも、思いのほか古く、明治時代には既にあったそうです。
私たちの昭和時代の頃は、アルマイト加工した弁当箱やプラスチックの弁当箱が普及しました。在職の頃は、ジャー式の保温弁当容器が開発されて、有り難いことに温かい弁当が食べられるようになりました。
持ち帰り弁当専門店が登場したのは1970年代(昭和40年代後半~50年代前半)だそうですが、その後、コンビニエンスストアが広まると、コンビニ弁当がいっきに普及しました。電子レンジを使って、買った直後に温められることも人気の理由だそうです。
さて、最近の弁当事情はどうなのでしょうか?
子どもたちと言っても小学・中学校は給食でしょうから、高校生を対象としていますが、弁当持参する高校生は9割を超えているそうです。一方で大人の弁当持参率は37%、購入弁当は20%ほどだとか、あとは社食ほかということになるのでしょうか?いろんな事情がある中でのお昼ご飯ですが、午後からの力が湧きますように!明日は、私も弁当持参で一日を乗り切ります。
※画像は、クリエイター・もりもとあいさんの、タイトル「毎日のお弁当は、着まわしコーデのように乗りきる。」の1葉をかたじけなくしました。娘さんの保育園の遠足の時のお弁当だそうです。弁当の蓋を開けたら、元気が飛び出してきますね!お礼申し上げます。