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No.1263 紅一点?

「ザクロの花が、咲いています」
そんなnoter(?)さんの言葉に誘われるように、隣の団地の一軒の庭に急ぎました。今朝の画像は、その柘榴の花の1枚です。
 
原産地はペルシャ地方(イラン付近)から北インドとされているようです。古代から栽培されており、中国、韓国を渡って、平安時代の前期に日本に伝来したと思われます。
 
その「ザクロ」の言葉は、「石榴・柘榴」の字音からきたとか、原産地であるペルシャ湾東方に「ザグロス山脈」があることから、その名に由来したとか、両者がくっついて「ザクロ」の名や字があてられたとかの説明がありました。
 
昔話に「鬼子母神とザクロ」があります。
鬼子母神は、元は鬼女で、500人もの子供の母親でした。多くの子供たちを育てるため、人間の子供をさらっては食べ、人々から大変恐れられていました。
そのことを知ったお釈迦様は、ある時、鬼子母神の末っ子を隠してしまいました。必死で探す鬼子母神をみて、
「子供を失う親の苦しみは、いかほどであろうか?」
と母親の気持ちや命の大切さを説いたといいます。心打たれ、改心した鬼子母神は、「鬼」の「角」が取れて、子育てや安産の神様になったそうです。ここのくだりが好きです。「鬼子母神社」の額には、たしかに「ノ」のない「鬼」の字が掲げられています。
 
その後お釈迦様は、
「もしも、また子供を食べたくなったら、柘榴は人肉に味が似ているから、代わりにこれを食べなさい」
と言って、「ザクロ」を差し出したそうです。「柘榴」は実(粒)が多いので子孫繁栄を意味する縁起の良い果実「吉祥果」といわれているそうです。
 
小学生の頃、私の生家の庭先に1本のザクロの木があり、枝が道路に突き出ていました。秋になって1個だけ大きな実が生り、道にはみ出した枝の先で垂れていました。大きく口を開けて実がほころび出そうになっており、食べごろのサインに見えました。
 
稲刈りの頃だったと記憶しています。たまたま通りかかった大型トラックがザクロの木の下で急に止まり、知らない運転手がトラックの屋根に上って、その1個だけの大きなザクロをアッという間にもぎ取りました。我々は、近くの田んぼからその秘技をサーカスでも見るように見入っていました。
「こらーっ!」
と爺ちゃんが大声を上げた時には、もうダンプは白い煙を上げていました。
 
私も「人の肉の味がするらしい」と言われて育ちました。かすかに甘いけれども酸味の勝ったザクロは「粒だらけ」と言って良く、種粒の周りに表面に光沢のあるルビー色の果肉がついただけのものです。味わうというよりも、口に含んで少し味わった後は「プッ、プッ!」と種を吐き出す果物です。きっとあの運転手も窓を開けて種を吐き出したことでしょう。それにしても、「逃した魚」と同じように、逃した柘榴も大きかった!
 
あの少年時代以降、ザクロを食べた記憶がありません。すでに60年以上が経っているのに、今もその味は舌が覚えています。今年の秋は、どこかで買って食べたいと思っています。「ザ・ルビー」色のその果実を。
 
「鬼の子のまだ頑是なし花石榴」
 正岡子規(1867年~1902年)