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No.1332 心の成長

小型台風が、2度にわたってわが家を直撃し、うれし涙の雨をもたらしたのは、今年の夏のことです。
 
7月末に、わがまま盛りの2歳半の利かん坊の孫を連れた娘が帰省してくれました。8月中旬には、自己主張の強い9歳と6歳の兄妹孫を連れた息子夫婦が里帰りしてくれました。小型台風は合流し、勢力を増し、笑いと涙の協奏曲を毎日奏でました。笑いジワと怒りジワも刻んでくれました。聞こえにくくなった耳なのに、耳栓の欲しい時もありました。
 
自分の娘や息子が、彼らと同い年だった頃のことをすっかり忘れてしまっています。こんなに聞き分けが無かったかな?こんなに愚図って泣いていたかな?こんなに姉弟げんかをしていたかな?こんなに笑わせてくれたかな?こんなに腹立たせてくれたかな?こんなに食べなかったかな?頭の中にはクエスチョンマークがいっぱいです。
 
私の祖父は、明治の気骨(精神)を色濃く残した人で、家父長制度の権化のようなところがあり、「無理が通れば道理引っ込む」世界をものの見事に眼前に見せてくれた人です。父は、戦争から帰還して子をもうけましたが、何事につけ厳しく子育てをし、言うよりも早く鉄拳が飛んでくる、そんな教育法でした。我々の子供時代の直立不動には、往年の歌手・東海林太郎(名曲「赤城の子守歌」ほか)も同情したであろうと思います。
 
そんな中で育った私は、反面教師として祖父や父をとらえ、子育てに変革を起こしたつもりでしたが、「瞬間湯沸かし器」の渾名が嘘ではないことを証明することがありましたし、子どもたちがいつまでも駄々をこねたり、聞き分けが無かったりすると、業を煮やして「神さま(まんまんちゃん)の部屋」に押し込んでしまうようなダメ親父でもありました。
 
ところが、我が娘夫婦・我が息子夫婦の子育ては、私などとは大きく異なります。とにかく、穏やかに語って聞かせます。決して短気を起こして叱ったり手を上げたりしません。どんなに子供たちがわがままを言っても、手を付けられないほど暴れたり喚いたりしても、辛抱強く説得を試みます。私は、ヘーボタンの装置を乱打して壊しそうです。
 
こちらは、見ていて歯がゆくなるばかりです。ガンと言ってやらないから、甘い顔をして優しい対応をするから、子どもが付け上がってわがまま放題になるのだという気持ちなのですが、「子どもには、子どもの考え方がある」という信念があり、大人の一方的な思いで叱るやり方は一切しません。恐れ入るやら、呆れるやら、手出しできないやら…。そんなわけで、私は若者たちの子育てを尊重し、「大声で𠮟り飛ばす」ことを封印しました。
 
息子の一家は、一足早く上京しました。帰る日の前夜、6歳の孫娘が、
「ジージ、これ着けて!」
と一人でミサンガを作ってくれました。トップ画像は、その朱色と紫色の紐の二重編みですが、自分なりのやり方で20分くらいで仕上げました。彼女は、一家のお姫様です。甘やかされ大事にされて育ったので、「自己中」な一面無きにしも非ずといったところです。しかし、こんな「人思いの心」もちゃんと育っていたのだということを、形(ミサンガ)で実感することが出来、我が子世代の「愛情深き」子育ての効果に感服した次第です。
 
「ミサンガ」の語源はポルトガル語で、「美しい結末」や「良い終わり」という意味があるのだそうです。これが転じて、編んで身に着けたミサンガが自然に切れると願い事が叶う、という現在のジンクスに結び付いたと言われていることを知りました。
 
右手首に着けたミサンガを見るにつけ、私も孫娘の思いを素直に受け取れるジジイに成長しなければと思います。
 
「けふ孫に 嫌はれてをり 雲の峯」
 高澤良一(1940年~)