No.934 なに分限(ぶげん)ですか?
ここに言う「分限」とは、「ぶげん」と読み「金持ち、財力、身分ある、才能ある」の意味です。「ぶんげん」と読んで「職員などの身分保障の限界」をいうものではありません。
田舎の我が家は、代々、頭のてっぺんから爪先までお百姓さんの家系でした。父の代になって兼業農家となったわけですが、貧しかったはずの山村農家なのに、なぜか「墓分限」(はかぶげん)でした。しかも、山の中腹やら、頂やら、田んぼの脇の空き地といった三か所に点在しているので、盆前の墓掃除ともなると二日がかりです。
8月6日の午後、8月7日の午前と午後の3回に分けて墓参し、草取りをし、竹やぶを切り、清掃をします。墓所とは言え、山中には蜂の巣があったり、やぶ蚊の総攻撃があったりし、防虫スプレーのお世話になりっぱなしです。この時期の必需品と言えば「蚊取り線香、防虫スプレー、虫刺され薬」という豪華三点セットで、常に携帯して臨みました。
お墓を守り続けるという事はそういうことで、誰かが世話をしてこれまで引き継いできた心の表れです。先祖を敬い、後世に伝えようとする積極的な営みだったと思います。私たちも、その先人の思いに触れながら、営々粛々と墓掃除を続けてきました。
墓掃除は、先祖の御霊の供養であり、お盆の里帰りの道案内でもあるのでしょうが、歴代の墓守りたちの苦労をしのぶ心の浄化作用でもあったのだなと思い知ったことです。
近年、「墓じまい」の言葉をよく耳にします。出生率が下がり、都市部に住む子供の代になって、地方にある先祖のお墓の世話や維持管理等の負担で悩んでいる方もおられるでしょう。地方にいる親御さん達でさえ高齢化のためにお墓参りができないという現実的な問題も起きています。永代墓への移行や、位牌だけを守るケースも生まれているようです。
「少子高齢化」「家族形態」「地方と都市の二極化」から派生した「当世お墓事情」には、考えさせられるものがあります。かくいうわが家も、夫に先立たれ、義理の父母を見送った母が、三つあった墓所を一つにして「先祖代々の墓」としたのは、子孫に墓守の負担を軽減させたいという思いがあったからでした。
形は変えても、先祖を敬う気持ちは変わりません。たとえ墓参できなくても、自宅から祈りを込めることは出来ます。そこに思いを込めることの方が、私には大事に思われます。
時代と共に変化し推移していくのは世の習いです。あの暑かった「墓掃除」の日を懐かしく思い出しながら、今年、父の48回目、母の10回目となる盂蘭盆を迎えます。
「御仏(みほとけ)は さびしき盆と おぼすらん」
小林一茶(1763年~1828年)
※画像は、クリエイター「あんず。|Mika Anzai」さんの「駅で見つけたホオズキの写真」の1葉だそうです。私には、灯のようにも、先祖の魂のようにも見えます。お礼を申し上げます。