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No.255 成長する思いやりの心

 数年前のある夜、昔の教え子から電話がありました。何事かと思いきや
 「夢に先生が現れたから…」
と言いました。れれっ?夢をもって上京したはずなのに、里心でもついたのかな?仕事上の悩みでも抱えているのかな?と耳を傾けていると、
 「元気な姿で、ニコニコ話してましたけど…」
と、暗に私の体調を気遣うような婉曲的なもの言いです。小生、老いぼれはしたが、無事消光。彼女の心配は杞憂に終わりました。それにしても、何て優しい心遣いでしょう。

 「我が妹は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず」『万葉集』巻20・4322番
 (訳…おれの妻は、ひどく恋い慕っているらしいぞ。飲む水に面影まで見えて、とても忘れられないよ)
これは、755年(天平勝宝7年)の2月に防人(さきもり)として筑紫に派遣された若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)という人の歌です。九州への途次、妻の面影が身に添い続けます。妻が、自分を愛し案じているから、面影に見えてしまうのだと詠んでいるのです。また、
 「百歳に ひととせ足らぬ 九十九(つくも)髪 我を恋ふらし 面影に見ゆ」『伊勢物語』第63段
 (訳…百歳に一年足りない、齢とったぼさぼさの白髪の老婆が、私を恋しく思っているらしいよ。まぼろしとなって見えることだ)
のように、古代信仰では、人の面影が見えたり、夢に現れたりするのは、相手が自分の事を思っているからだという発想がありました。

 それが事実なら、私が東京で学ぶ彼女のことを案じていたから、彼女の夢に現れたということになるのでしょうか?思わぬ電話によって、私の深層心理が明るみに?その心理現象をフロイト氏に分析してもらいたいような心持ちです。それにしても、夢を見てくれたおかげで、教え子のナマの声を聞くことができたのですから夢に感謝!

 ひと月ほど前、いきなり飛蚊症(黒いアメーバのような、イカ墨が筋を引いて漂うような)にかかり、不快で心がへこんでいた気分の時に、ふとこの話を思い出し、ほのぼのとした次第です。いつの間にか彼女の心配の電話は、私の中で「身勝手なエール」に成長していました。歳を取ると、こんなことも成長させられる能力を手に入れることが出来るようです。