No.1122 行く人、来る人
「(…略)僕は元気です。こっちへ来て半年経ち、何とか授業にも慣れた感じです。
早いもので、高校を卒業してから、かれこれ6年です。授業の中で『将来、どういった人生を送りたいか作文に書くように』と言われたことを覚えています。
確か僕は石原裕次郎の『我が人生に悔いなし』を歌いながら死ねるような人生を送りたいと書いた記憶があります。そのときのクラスの雰囲気とか教室の感じとかを、不思議ですが、今でもはっきり覚えています。
それと今後悔していることは、あの時、もっと日本の古い文化や歴史について勉強しておけばよかったということです。
僕が今行っている大学には日本語文学科があります。そこの生徒や先生は日本に対して見識が高く、よく日本について質問されるのですが、答えられません。勉強のやり直しです。
先生のメールの中に、『今、大分は桜が満開』とありました。僕は、今年は桜の花が見られなかったので、とてもうらやましいです。一年の間にほんの少しだけの期間咲くだけなのに、日本人でよかったなあと感じさせられます。
モスクワも最近だいぶ暖かくなりましたが、花が咲くにはまだ寒いようです。気長に待ちます。(略…)」
今から20年前、教え子(他クラスでした)がロシアの大学で勉強することになり、モスクワから貰ったメールの一部です。海外に出て、「日本の文化と歴史」の勉強しておくことの意義を肌で感じ取った彼の言葉は、説得力がありました。
彼は高校生の頃、同じ団地内に住んでいたらしいのですが、別の班だったのでその家を知りませんでした。私が退職後のある日、団地内を散歩していたら、偶然にも彼から声を掛けられました。「?」「誰だっけ?」高校時代とは全く別人の体型となり、声を掛けられなかったらまったく気づかなかったと思います。
その彼は、モスクワへの遊学後、日本の商社に入り、今は東南アジアの国で仕事をしながら向こうで生活をしているとのことでした。母子家庭だった母親が亡くなり、家の処分を考えているから帰国したのだということでした。5分ほど立ち話をしてから「じゃあ、また!」と明るく言って別れました。
その後、彼の家は何度か「売り」に出され、「見学会」も行われたようでしたが、買い手がつかないまま月日が過ぎていきました。時計が止まったようで、家が息苦しそうに見えました。
ところが、昨年の秋に人の出入りがあるなと思っていたら、新たな家族が住み始めました。庭の草が手入れされ、部屋に明かりが灯ります。家が急に呼吸と鼓動を始めたようでした。
あの時の「じゃあ、また!」の言葉が色褪せて行くように思われてなりませんでした。
※画像は、クリエイター・パーリーメイ | Purleymayさんの、タイトル「【note版】ロリポップみたいにかわいい建物ばかりのロシア」の1葉をかたじけなくしました。モスクワ市内の建物だそうで、教え子も見た風景でしょう。お礼を申し上げます。