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No.1456 星を刻む

めっぽう寒くなりました。一昨々夜は、湯豆腐でした。

豆腐を食べているときに、中津の作家・松下竜一さんの事を思い出しました。朝日歌壇に投稿した短歌を中心に綴った歌文集『豆腐屋の四季』(1968年=昭和43年)を自費出版したところ大きな反響を呼び、翌年には講談社から公刊されました。地上の、地方の小さな星の輝きがありました。

さらに、大阪朝日放送により1969年にテレビドラマ化され、『豆腐屋の四季』は一躍有名になりました。地方の豆腐屋の父親役は藤原鎌足さん、竜一役には緒形拳さん、その恋人であり奥さんとなった洋子役には川口晶さん、そして、竜一の弟役は、林隆三さんが演じました。もう55年も前のドラマですから、覚えておられる方も少なくなりましたが。

松下竜一さんは、生後間もなく急性肺炎の高熱で右目を失明したそうで、星のような跡が残りました。虚弱児でもあったようですが、「白眼」と呼ばれ虐められたと言います。母は、優しい人でした。
「ホラホラ、そんなに泣くと、目のお星様が流れ出てしまうよ。」
「目の星なんて流れた方がいいやい」
「お星様が流れて消えたら、竜一ちゃんの優しい心も消えるのだよ」

「母は一度だって強い子になれとはいわなかった。ただ、やさしかれ、やさしかれと語り掛けるのだった。」
「母はたぶん知っていたのです。やさしさに徹することでしか、ぼくは強くなれないのだと。でもほんとうにやさしくなることは、なんと至難なことでしょう。ぼくは今日も、つい些細なことで妻を怒ってしまいました。ぼくより小さく弱い妻を」

父は貧しい豆腐屋でした。ところが、大変優秀な成績で中津の進学校を卒業した竜一さんでしたが、結核療養2か月後の5月、母が脳溢血で倒れ、45歳で還らぬ人となってしまいました。大学進学への道は作家になる夢を叶えるためであり、母が示した道でもあったそうですが、その夢を断念し、稼業を継がねばならなくなりました。抗いようのない運命を呪った事でしょう。夏に、大学生となった同級生を見つけると、自分が惨めで、こっそり隠れたともいいます。

 「泥のごと出来損ないし豆腐投げ怒れる夜のまた明けざらん」
 「豆腐いたく出来そこないておろおろと迎うる夜明けを雪降りしきる」
   「出来ざりし豆腐捨てんと父眠る未明ひそかに河口まで来つ」
豆腐作りに決して順調とは言えない試行錯誤の日々もあったことを素直に詠んでいます。進学を諦めたのは、父親一人では困難だと言うこと、弟妹のため家業の後継者とならざるを得なかったことのようでした。日々の厳しい労働に向き合いながら、文学への熱い思いを胸に秘めた青春歌集であり、未来の妻となる雑貨店の少女へのひたむきな愛を描いた作品でもあります。少女と文学が、生きる希望であり、自分を導く星だったのだろうと思います。

しかし、豆腐屋を14年間続けた後の1970年(昭和45年)、竜一さんは家業を辞めて作家宣言をしました。そして、純文学ではなく、社会派の作家として公害問題や環境問題に果敢に取り組むようになりました。私は1975年前後の頃に、日田で松下さんの講演を聴く機会を得ました。何か寂しい語りの作家だったことと、「耳たぶをつまむと、妙に心が休まります。」と言った言葉だけは、強い印象として残っています。

その松下竜一さんは、20年前に67歳で天に昇って行かれました。
 
「湯豆腐やゆらりとうかぶ父母の顔」
 池内 勝信


※画像は、クリエイター・おかのくらさんの「湯豆腐とお酒」の1葉をかたじけなくしました。寒い夜には、一層染みますね!お礼を申し上げます。